【コラム・若田部哲】「正月やお盆には帰省しなくても、おまつりには帰る」といわれるほど、市民に根付いている「常陸國總社宮(ひたちのくにそうしゃぐう)例大祭」。通称は「石岡のおまつり」。川越氷川祭(埼玉)、佐原の大祭(千葉)とともに、関東3大祭りの一つとして知られ、毎年9月15日と敬老の日を最終日とする3日間に行われます。
このお祭り独特の幌獅子(ほろじし)は、獅子頭から延びる胴体に獅子小屋と台が付いており、その周りを幌が覆うというもので、お囃子(はやし)とともに、獅子が進むさまは圧巻。町内ごとに色や表情が違い、何度訪れてもその都度違う表情が味わえます。
令和元年(2019)には、期間中、約50万人超の見物客が訪れ、町中が熱気に包まれたこのお祭りについて、常陸國總社宮禰宜(ねぎ)の石﨑さんにお話を伺いました。
「祭り」とは、祈りのより動的な形であり、「人知を超えたものを神として可視化し、感謝する」という行為を、意識せずに行ってきたものだと石﨑さん言います。そして、「神を祀(まつ)る者、神に祈る者の背中が美しいからこそ、その祭りは美しく、皆で共有すべき『宝』としての価値を持つ」と話されました。
私見ですが、祀(まつ)る神を持たず、ただ、よそのお祭りの表層の姿を寄せ集めた近年の観光イベントとしてのお祭りは、心引かれるものがありません。一方で、古来より続く、神を祀る祭りの光景が胸を打つのはそのためだったかと、合点がいくお言葉でした。
お祭り=神事
しかしながら、この歴史あるお祭りも、新型コロナの影響を避けることはできず、令和2、3年度は9月15日の例祭のみが行われ、「神賑行事(しんしんぎょうじ)」については延期となりました。
「逆にそのことで、祭りの意義を根本から問う機会になるなど、プラスの面もあったのでしょうか?」と伺うと、若い世代を中心に「祭り=神事」であることを再確認する機会になったのも確かだが、連綿と続いてきた祭りが2年間途切れたマイナス面の方が大きかったとのこと。
古来よりの祭りが連綿と今も続いているのは、その時代ごとの神職や氏子・崇敬者が、続ける努力を怠らなかった結果であり、その時代ごとに要不要を見極め、新陳代謝を繰り返しながら、祈りを「続けていくこと」こそ、祭りの意義であると石﨑さんは言われます。
例えば、現在ではこのお祭りの代名詞でもある巨大な「幌獅子」。これは当初からあったものではなく、江戸時代後期に市内土橋町の照光寺に逗留(とうりゅう)していた大工さんが、お世話になった印に、寺の襖(ふすま)に描かれた獅子を彫って奉納したのがその始まりであり、それが次第に他の町内にも波及し、現在のような姿になっていったのだそうです。
令和3年(2021)10月、「常陸國總社宮祭礼の獅子・山車・ささら行事」の神賑行事が、石岡市の無形民俗文化財に指定されましたが、これは「石岡のお祭り」が観光イベントではなく、そのように少しずつ形を変えながら連綿と続く祈りの形であったからこその賜物(たまもの)でしょう。
コロナ禍を超え、これからこの神事がどのように新陳代謝をしていくのか。その祈りの形を、これからも見続けたいと思います。(土浦市職員)