【コラム・瀧田薫】戦争の終わらせ方には二つの類型があるという(防衛研究所主任研究官・千々和泰明著「戦争はいかに終結したか」中公新書)。すなわち、「根本的解決」と「妥協的解決」である。前者の場合は、自分たちの被る損害は覚悟の上で、相手を完膚なきまでにたたき、将来の禍根を断つ方法である。後者の場合は、相手と妥協し、その時点での損害を回避する方法である。
どちらを選ぶかは、戦争終結を主導する側、つまり優勢な側にとっての「将来の危険」と「現在の損害」の比較考量によって決まる。同氏によれば、その際「紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマ」という視角が浮上するという。戦争の終わり方は一見バラバラに見えるが、実はどの戦争もこのロジックをたどっていることから、過去の失敗から学ぶこともできるし、眼前の戦争の終結方法を検討することもできるというのだ。
この理論の限界を指摘しておきたい。ウクライナ戦争をウクライナとロシアの戦争として限定すれば、この理論が有効な分析装置たり得る可能性はある。しかし、この戦争の影響が地球全域に及ぶことがすでに明らかになっている状況では、この理論だけでこの戦争の先行きを見通すことは不可能だ。
恐いのは独裁者の判断力喪失
そのことを断った上で、この理論による有効な分析例を一つ取り上げよう。ザポリージャ原発への砲撃をロシア側からの攻撃(砲撃主体がロシアかウクライナか明確なエビデンスは今のところない)と仮定し、これに千々和氏の理論を適用する。ロシア側が、ザポリージャ原発を砲撃で破壊し、放射能を外部に漏出させることまで意図しているとすれば、ロシアは紛争の「根本的解決」を決断した可能性が高い。
その場合、ロシアはウクライナが自暴自棄になって原発を破壊したとのプロパガンダをまき散らす。そうすれば、核爆弾を投下することなしに投下同様の効果を得られると同時に、核使用当事国として全世界から非難、制裁されずに済むと考える(ロシアの勝手読み)からだ。他方、ロシアがウクライナと西側諸国へのブラフとして、原発砲撃をしているだけだとすれば、ロシア側は、ウクライナとの「妥協的解決」を留保しているという見方ができる。
考えたくはないが、ザポリージャ原発に対する砲撃、その照準が一つ間違えば、ブラフがブラフではなくなる。その場合、ウクライナ原発は全世界に放射能汚染をまき散らすことになる。その時点で、状況は千々和氏の理論の限界を超えることになる。
そもそも、戦争というものをロジックや数学的合理性の視点だけで説明できるだろうか。人間には情念、狂信、集団幻想など、取り上げれば数え切れないほどの不合理性がつきまとう。いわゆる権威主義体制において個人独裁システムが機能しているとして、独裁者が判断力を失った場合、この世界はどうなるのか。想像するだけで暗たんたる思いになる。(茨城キリスト教大学名誉教授)