【コラム・浅井和幸】何年か前にラジオから次のような話が流れてきました。誰でも知っているような有名な落語家の師匠が入院していました。お弟子さんたちがお見舞いに集まり、ベッドに横になっている師匠のそばにいます。
師匠は言います。
「のどが渇いたから、何か飲み物を買ってきてくれ」
分かりましたと、お弟子さんが買い物に走りました。全くの世間知らずというほどの若いお弟子さんではなく、そこそこの人生経験のある人だったそうです。お弟子さんが帰ってきました。
「師匠、健康になるヘルシーなお茶です」
弟子はヘルシーと書かれた痩せるお茶を買ってきました。それを見た師匠。
「バカヤロー、俺は医者にもっと食べて、太れと言われているんだ」
何とか健康のためと気を使ったつもりのお弟子さんは、褒められるどころか怒られてしまいました。
怒りと笑いは似たところに存在する
これは笑い話として語られていました。私はこの話を聞いていて、怒りと笑いは似たところに存在するなと感じました。気持ちに余裕があると、怒りは笑いに変えられるのではないかとも考えるようになったのです。
私は気が短い方なので、この、怒りを笑いに変化させるということ、さらには怒りではなく笑いとして受け止めることが目標となりました。まだまだ練習不足なので、今後も研さんしていきたいと思っています。
もう一つの教訓が、大勢にとっての健康なものが、ある人にとっては健康を害する可能性があるということです。私たちは、ゴマが健康に良いとか、塩が健康を害するとか、食品単体について健康に良いとか悪いとかレッテルを張りがちです。
食品、というか栄養素には、ほとんどのものに欠乏性と過剰性があります。さらに、アレルギーがあったり、ラジオの話のように病気であったりと、そのときの状態によって良しあしは変わってくるものです。
では、優しい言葉、正義、気を回す、いたずら、サボる、逃げる、笑う、悲しむ、ポジティブ、ネガティブ、気を使う、気を使わない、わがまま、友人が多い、明るい、暗い、勉強ができる―などは、良いことでしょうか悪いことでしょうか。一度立ち止まってあれこれと悩んでみると、何かが見つかるかもしれませんよ。(精神保健福祉士)