【コラム・山口絹記】前々回の記事(7月1日付)で、我が家の1歳児の息子があまりことばを話さないというおはなしをした。私としては特に心配はしていなかったのだが、案の定ぼちぼちと話すようになってきた。

私が帰宅すると「パパ!パパ!」と駆け寄ってくるし、私のお気に入りのペンポーチ(長沢芦雪の「白象黒牛図屏風」に描かれた白い犬がモチーフ)を奪って逃げるときは、「わんわん!わんわん!」と絶叫しながら走り去っていく。「鼻」という単語を覚えてからは、「はなぁ!」と言いながら、どこまでも追いかけてきて、すさまじい勢いで家族の鼻の穴に指を突っ込んでくる。指が細いので思いの外奥まで到達して、正直かなり怖い。

また、こちらのことばの意味はかなり理解しているようで、「お姉ちゃんにコレ渡してきて」とか「冷蔵庫にしまってきて」みたいなお願いも言った通りにやってくれる。しかし、私とふたりきりの時は相変わらずあまり話さない。

話す相手を選ぶ 省エネモード

先日も息子が新しい靴を購入したので、「せっかくだからお散歩いこうか」と2人で散歩に出たのだが、2人とも基本的に無言である。放っておくとどこかに走っていってしまうので、「手、つなご」と声をかけると、無言で私の顔をじっと見つめてから右手を差し出してきた。また静かになる。

行きつけのコーヒー屋さんに着くと、まず店員のお姉さんに手を振ってご挨拶。コーヒー豆を買って、お姉さんに「牛乳あるけど飲む?」と聞かれると「ぎゅっぎゅ(ぎゅうにゅう)!」と笑顔で返答。なんだおまえ、お姉さん相手なら話すのか? 店内でサービスのドリンクを飲み干すと、自分でコップをお姉さんに返却して、しっかり手を振って笑顔で退店。そしてまた無言である。

帰り道のスーパーで私が簡単な買い出しをしている間も、1人で店内を歩き回っては、お姉さんを見つけるたびに笑顔で手を振って挨拶回りをしているのを、私は横目で確認した。そうか、そういうことなのか。父は理解したぞ。

なんてことはない、話す相手を選んでそれ以外は省エネモードを駆使しているらしい。帰り道、さすがに疲れたのか路上に座り込んだ息子は、私に両手を差し出して言った。

「ん!(抱っこだろ?察しなよ)」

結局、1時間弱の散歩道で息子が私に発したことばは、この「ん!」だけ。父としては、いろいろと複雑なのである。(言語研究者)