【コラム・奥井登美子】

「毎日、ウクライナのニュースを見ていると、僕はどういうわけか、丸木さんがあのニュースを見て何を言われるか、知りたいと痛切に思うようになってしまった」

「ご夫婦で原発の絵を担いで、世界中を行脚して回っていらしたわね。ウクライナはいらしたのかしら?」

「さあわからない…。2人とも、人類の悲劇を実際に見て、絵にしたんだもの、すごい人だよ。昔、位里さんと俊さんが、2人でうちへ来てくれた日のことも、つい、昨日のように思い出してしまう」

土浦市の奥井薬局の2階で、「丸木位里(いり)・俊(とし)展」をやったことがあった。250人もの人が駆けつけてくれて、盛況だった。お2人は我が家に泊まって、おしゃべりして、家のふすまが白いのを見て、刷毛(はけ)と墨汁(ぼくじゅう)を使って、大きな絵を描いてくださった。

生前葬やったの、覚えている?

「10年前、日仏薬学会の市川一郎さんが、東京・本郷の画廊を1週間だけ借りて、丸木夫妻の絵を持ち寄って丸木展をやったね」

「本郷でやったから、中外製薬、日仏薬学会、薬史学会の友達がたくさん来てくれて、展覧会の最後の日、あなたの生前葬儀もやったの、覚えている?」

皆、薬の専門家だから、大動脈解離という病気の恐ろしさをよく知っている。亭主が大動脈の中膜が37センチも乖離(かいり)して、意識不明になり、救急車でお茶の水の東京医科歯科大病院・救急病棟に運ばれて、運よく命を取り留めたといういきさつを知って、集まった人達が、皆、びっくりしていた。

そこで、またいつ死んでもいいようにと、いつのまにか、丸木展覧会の最後の日が生前葬別会になってしまったのだ。

人類の究極の悲劇を実際に見て、絵にした丸木夫妻の大きな深い優しさ。私たち2人とも、どれだけ助けられたのか測りしれない。(随筆家、薬剤師)