【コラム・相沢冬樹】なぜか、石岡の町にはお稲荷様がたくさんある。古い町内ごとに当たり前のような顔をして鎮座している。それでいて、稲荷神社の代名詞である朱塗りの鳥居は全く見当たらず、よそ者には疑問が募るところだが、地元に不思議がる様子はまるでない。初午(はつうま)の7日、一日かけて旧市内9カ所の稲荷神社をめぐってみた。

初午は2月最初の午の日、各地の稲荷神社で豊作、商売繁盛、開運、家内安全を祈願する行事で、京都・伏見稲荷や笠間稲荷の初午大祭が知られる。元は旧暦2月の行事で、今の3月にあたっており、ちょうど稲作を始める時期だったため、農耕の神様をまつるようになった。稲荷の名は「稲生り」からきたともいわれている。

そんな初午の日に石岡では何か行事があるのだろうか。まずは石岡市観光協会発行の「歴史散策コース案内」を参考に歩いてみることにした。掲載されているのは、隅之宮福徳稲荷神社(府中1丁目)、青木稲荷神社(府中2丁目)、鈴之宮稲荷神社(国府2丁目)、宇迦魂稲荷神社(国府6丁目)―の4社。徒歩で回っても1時間と掛からない範囲にある。

境内に正月飾りなどを焼いたような跡があるだけで、どこも人の気配がない。神社に掲示されている案内文のなかには「毎年、町内では初午祭を行っている」とあったが、その形跡はうかがえなかった。

週末にでも日取りを移して行うのかもしれない。情報を得ようと、まちかど情報センター(国府3丁目)を訪ねると、NPOの白井育夫理事長が住居表示前の旧町名で書かれた一文を紹介してくれた。「石岡市は旧市内だけでも、金丸町の鈴之宮の開運、仲之内の福体、青木町、守横、守木町(三社)、土橋町、木比提(きびさげ)など、十社ほどある」(今泉義文『石岡の今昔』、1983年刊)。

前半の金丸町から守横までがこれまでに回った4社である。しかし、そのあと守木町から先は観光協会の案内図では分からない。白井理事長は知り合いに電話するなどして、守木町の3社を探り当ててくれた。

国府公園と道路をはさんだ向かい側にある天之宮正一位稲荷神社、仁平稲荷・妻恋稲荷・行幸稲荷の三座を祀る金刀比羅神社の境内社はすぐにたどり着けるが、もう一つが難しい。

赤い鳥居もないし、狛狐の像も見つからない。歩道の拡張整備で窮屈な敷地に押し込められたような祠(ほこら)があったが、鳥居にも社(やしろ)にも神社名を記した額が見当たらない。やっと社の脇の小さな石碑に「稲荷神社」の刻字を見つけた。守木町中組の某が1991年寄贈したとある。「中組」というのは講組織だろう。守木町にある3つの講がそれぞれに稲荷神社を設けたわけだ。現在はいずれも国府6丁目に所在する。

さらに土橋町(府中2丁目)の藤森稲荷神社までは200mほどの距離だ。ここもお寺の参道脇の引っ込んだ空間に隠れるように建っている。お稲荷様はよほど狭い場所がお好きとみえる。(ブロガー)