【コラム・田口哲郎】
前略
先日の夕方、再びつくばセンター地区のソトカフェを歩いていたら、鳥の鳴き声が広場全体に響き渡っていました。大きな音量で、絶え間なく鳴いているので、なんだろうと思ったら、街路樹にスピーカーがつけられていて、そこから流れている録音された鳥の声でした。最近、街路樹にムクドリの大群が押し寄せて、騒音や糞(ふん)害をもたらして問題化しているので、その対応でしょう。
ムクドリの天敵であるワシやフクロウの鳴き声を流して、ムクドリが木に集まらないようにしているのですね。その効果なのか、わたしが歩いたとき、ムクドリは来ていないようでした。都会にある自然を感じさせますね。人間の生活圏にムクドリがやってくる。動物との共生は理想だけれども、それがゆき過ぎるとご遠慮いただく。せっかくの訪問なのですが、なんとも心苦しいなあと思います。
ところで、昔の映画やドラマを見ていて気になることがあります。かつて日本の家では玄関に鍵をかけなかったのではないでしょうか。現在はオートロック、玄関のインターフォンという二重のロックまであるところがあります。ピンポーン、「どなたですか?」、「誰々です」、「どうぞ」です。
けれども昔は、扉をガラガラ開けてから、「ごめんください」です。ご近所に親類や顔馴染(なじ)みが住んでいたので、治安がよく、まず扉を開けるという訪問方法が許されていたのです。今はお隣さんの氏名さえ知らないということも珍しくないので、ロック解除して放っておくわけにはいきませんよね。
個人主義の台頭と地域共同体の衰退
1970年代から個人主義が強まって、イエ制度や地域共同体は衰退しました。旧来のイエ、ムラ制度から個人が解放されることは良いことなのですが、それゆえにわずらわしいながら、気心の知れた人たちとのささやかな交流は無くなりました。大した用はないけれど、ふらっとご近所に立ち寄り、ガラガラ、ごめんください、あらいらっしゃい、お茶でもあがってって…。そんなコミュニティが現実生活にも確かにありました。
さらに小津安二郎の映画を見ていて思ったのは、セリフのほとんどが「挨拶(あいさつ)」なのです。現在も交わす、おはようございますから始まって、おやすみなさいに至る一連の挨拶です。それが、昔は家族も多かったし、親戚が同居したり近くにいたし、ご近所さんがやってくるので、今よりもかなり多い回数交わされる。
人間同士のコミュニケーションの結構な部分が、実はこうした決まりきった、なんてことはない会話でできているのではないかとふと思いました。深い話なんてあまりしなくて、いいお天気ですね、お加減いかがですか、そんなやりとりから、雨が続きますね、おじいちゃんが昨日から風邪でね、とかそんな話になり、自然にお互いに助け合うようになる。
そうなると、今のようなみんなが孤独な状態はなくなるような気がします。ごきげんよう。
草々(散歩好きの文明批評家)