土曜日, 4月 5, 2025
ホーム土浦土浦で1年越しの成人式 コロナ禍 2回延期

土浦で1年越しの成人式 コロナ禍 2回延期

新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となっていた2021年の土浦市成人式が27日、1年越しで同市東真鍋町、クラフトシビックホール土浦(土浦市民会館)で執り行われた。当初は昨年9月19日に延期する予定だったが、緊急事態宣言を受けて再び延期していた。

感染防止対策のため参加者は、市に事前申し込みをして抗原検査キットを送ってもらうか、自費でPCR検査を受けるなどし、受け付けで検査結果を示して会場に入った。会場にも当日用の抗原検査キットが用意され、来場者に備えた。

式典は8つの出身中学校を午前と午後の2部に分け、それぞれ30分間に短縮して開催された。

式典会場で一つずつ空けて着席する参加者たち=同

式典の中で安藤真理子市長は「この約2年間のコロナでたくさんのことが激変した。会社での仕事がオンラインになったり、自宅で仕事をしたり、学校に長く行くことができなかった。そんな時代を皆さんはご苦労されたのではないかと思っている。大きなピンチを皆さんの力でチャンスに変えていただきたい。ご苦労された両親や先生、これまで自分に関わってくれた方々に大きな感謝をし、自分自身の可能性を信じて大きく羽ばたいてください。夢は強く願えば、必ずかないます」と言葉を贈った。

成人式運営委員の小澤典皓さんは、成人代表謝辞として自身の塾講師のアルバイト経験を話し、「私たちは多くの人の手助けがあって現在に至る。コロナ禍で人とのつながりが薄れたように感じた人もいるかもしれない。しかし、人とのつながりを再認識し、感謝を伝えていくことで、社会人として旅立つ私たちにとってかけがえのない一日になる」などと述べた。

式典後、参加者は会場の大ホールから退場するよう促されたが、会場前では友人たちとおしゃべりする姿が見られた。

式典終了後、会場の外で友人たちとおしゃべりする参加者=同

現在都内の大学に通う飯村駿介さんは「一年越しの成人式でみんな楽しみにしていたのでうれしい。コロナ禍でこのような式典を開いてくれることに感謝している。大学卒業後は小学校の先生になることを目指していて、今年茨城県の採用試験を受ける予定。小学校も中学校も土浦市だった。自分が育ったところで今度は自分が子どもたちを教える側になりたい」と意気込みを語った。

土浦市田中に実家がある塩田拓実さんは「両親には今日まで育ててくれてありがとうとシンプルに伝えた。今日は皆で集まることができてうれしい。今後の目標はもっと大人っぽくジェントルマンになりたい」とはにかみながらもマスク越しに晴れやかな笑顔を見せた。

塩田さん(後列左から2番目)と式に参加した友人たち=同

対象となったのは昨年1月に成人式を行うはずだった1491人で、うち男性730人、女性761人。成人式には例年800人ほどが参加している。(田中めぐみ)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

5 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

5 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

「人格の完成を目指せ」 日本国際学園大つくばキャンパスで入学式

2期生87人が入学 昨年4月に開学した日本国際学園大学(橋本綱夫学長)の入学式が4日、同大つくばキャンパス(つくば市吾妻)で催され、第2期生87人が入学した。旧筑波学院大学から大学名を変更し2回目の入学式となった。 総代として、白い民族衣装をまとったスリランカ出身のサンタナ・デワゲ・ハルシ・ナワォデヤ・デウミニ・シルバさんが橋本学長から入学許可書を受け取った。新入生87人のうち44人は留学生で、中国、スリランカ、ベトナム出身者などが多いという。 橋本学長は式辞で「本学を支えている考え方は、大学で幅広い教養や知識を習得するだけではなく、問題解決能力や創造力といった、人格の形成を目指している。実社会に出たら必要なものはコミュニケーション力であり、本当に役に立つ人間を目指してほしい」とメッセージを送った。 新入生を代表して茂木翔太さんは「恵まれた環境で学ぶことができることはとてもうれしい。それぞれの目標に向かって勉強するのはもちろんのこと、物事を多くの視点から見られるよう、学び、社会に貢献していきたい」と述べた。 在校生を代表して経営情報学部ビジネスデザイン学科の寺門光穂さんは「この大学の特徴は、先生と距離が近く何でも親身になって相談できるところ。学生生活を送るにあたって、時間をかけて待つだけではいけない。自ら進んで行動することが大事」だと新入生に向けてエールを送った。 当日は3日間続いた雨も止み、桜が咲く中での入学式となった。中国出身の新入生で留学生の森拓也さん(18)は「まずは日本語の会話がちゃんと出来るようにしたい。これからは情報が大事だと思うので、AIなど学べれば良い」などと話した。 同大は1990年、東京家政学院大の筑波短期大学として開学。96年に4年制の筑波女子大学になり、2005年に男女共学の筑波学院大学になった。大学の運営は19年度に東京家政学院から学校法人の筑波学院大学に移り、23年からは学校法人名を日本国際学園に変更した。昨年からは姉妹法人の東北外語学園(仙台市、橋本理事長)が運営する仙台市の東北外語観光専門学校に新たに日本国際学園大学の仙台キャンパスを設置した。(榎田智司)

家族行事のおはなし《ことばのおはなし》80

【コラム・山口絹記】久しぶりに家族でいちご狩りに行った。我が家ではこの10年、いちご狩りはほぼ毎年の家族行事のようなものになっているのだが、昨年は私がバタバタして行けなかったのだ(知らないうちに私抜きで行った可能性はある)。 つくばに暮らすようになって最初の数年は、いちご狩りができるところをいろいろと巡っていたのだが、ある時からふとしたご縁で同じ農場に通うようになった。毎年同じところを家族で訪れる、同じことをする、というのは、案外悪くないものである。 この10年ほどを思い返してみると、張り切って遠方に旅行したりするよりも、ただなんとなく毎年やっていることの方が記憶に根付いていたりすることに気が付いた。別に記憶に留めておきたくてやっているわけではないのだが、結果的にそうなった、という感じなのだ。 娘のおひな様を出したり片付けたりするのを忘れる程度の人間なので、あまり偉そうなことは言えないのだが、本来の家族行事もそういった意味もあるのかもしれない。 ただなんとなくいちご狩りに いちごでおなかがいっぱいになってしまったので、妻と一緒にベンチに腰掛けた。また寒い日が続いているが、温室の中は暖かくて居心地がよい。油断すると満腹なのも手伝って気を失いそうになる。 息子はいちご狩りに飽きたのか、ヘタを入れる紙コップと食べかけのいちごを私に手渡すと、有り余る体力を消耗するためだけに駆けだす。それを追って娘も、いちごの間を駆けていく。息子の食べかけのいちごを食べながら、駆け回るこどもたちをぼんやり眺めていた。来年もまた、ただなんとなくいちご狩りに来られたらいいと思う。(言語研究者)

児童、生徒の増加に対応 新 桜給食センターが開所 つくば

10日から6600食を提供 つくば市天王台に桜学校給食センターが開所し、3日、同センターで開所式が開かれた。つくば市では近年の児童・生徒数の増加と、既存施設の老朽化に対応するため新しい学校給食センターの設置が急がれていた。 2020年3月に閉鎖された旧・桜学校給食センターの跡地に新設された。建物は、鉄骨造2階建、建築面積3350平方メートル、延べ床面積3948平方メートル、総工費は約37億円、従業員は約70人。4月10日から市内の幼稚園4園、小学校9校、中学校3校へ約6600食の給食提供が始まる。同センターではアレルギーに対応した給食を含む、1日あたり最大で7000食の調理が可能だ。 環境に配慮した持続可能な給食センターを目指すとし、施設内での排熱利用や発電システムを設置した。都市ガスを使って発電するガスコージェネレーションシステムでは、発電した電気を施設内の照明等に使用し、発電時に発生した熱はお湯などの熱源に利用する。排熱の回収量は年間約3万600キロワットアワー、発電量は年間6万7200キロワットアワーとなる計画で、停電時の電力としても利用される。屋上には太陽熱給油システム用の発電パネル36枚を設置し、食器洗浄用に使われるお湯に必要な熱量の90%をつくり出す。学校から戻ってきた残飯は粉砕し水切りし、3分の1から5分の1程度に減量して、調理過程で出る野菜くずとともに生ごみ処理機で分解される。建物2階には、1階の作業を見学できる見学室や展示スペースが用意され、食育にも力を注ぐという。 式典のあいさつで五十嵐立青市長は「次の世代に胸を張れる施設をつくろうと取り組んできた。この場所からつくばの新しい給食の形が始まると思っている」と話し、森田充教育長は「給食の時間は友情を深める大切な時間。給食は生きた教材、学びができる時間でもある。工夫をしたセンターを知ることも大事ですし、地元から調達される食材もあるので、食材についても学んでほしい。生産者との交流も学校を通じてしてほしい。食を通じて子供たちの豊かな感性、しっかりした心身が育っていけたら」と述べた。 4月から桜学校給食センターの運営を受託した東洋食品(東京都台東区)の荻久保瑞穂専務は「市内の人口増加、学校新設に伴い新設されたセンターへの市民の皆さんの期待の大きさを感じている。これまで58年間、食中毒ゼロでやってきた私たちの経験をもとに、子どもたちに毎日の給食を楽しみにしてもらえるよう、地元の食材を使用したものなどいろいろな献立に対応していきたい。気持ちを込めて調理した給食をしっかり食べてもらい、心も体も健やかに成長してもらえたら」と語った。 つくば市では、筑波学校給食センター(つくば市神郡)が開所から20年、茎崎学校給食センター(同市小茎)が40年以上経過し施設が老朽化するなどしている。市内では2014年につくばすこやか給食センター豊里(同市高野)、20年にはつくばほがらか給食センター谷田部(同市藤本)が、それぞれ開所した。茎崎学校給食センターは今年3月で閉鎖し、4月からは新しく開所した桜学校給食センターを含む4施設で学校給食を提供する。つくば市の給食提供の総数は1日あたり約2万6000食。4つの給食センターで最大約3万食を提供できる。(柴田大輔)

さよなら牛乳瓶《くずかごの唄》148

【コラム・奥井登美子】配達の牛乳屋さんから、「牛乳瓶が無くなって、ポリ瓶になります」という通知。森永乳業系は昨年から、明治乳業系は4月から瓶が消える。牛乳瓶を手でなでながら、なぜか涙が出てしまった。 東京の新富町で生まれて育った私の父は、近所にあった芥川龍之介の実家の牛乳屋へ、毎日、瓶の牛乳を買いに行ったという。近藤信行さんが山梨文学館の館長のとき、芥川龍之介展に誘われて行ってみたら、龍之介の小学生時代の手書きポスターに「牛乳を飲みましょう」というのがあって、皆で大笑いした。 102年前の関東大震災で家が焼け、我が家は新富町から郊外の荻窪に引っ越した。当時の荻窪は、震災で焼け出された人達にとって、とてもよい住宅地だった。 子供好きの父は、慶應の学生時代から近所の子供たちを集め、絵本を読んだり、水泳をしたりしていたらしい。母は震災の中、芝公園で兄を出産し、震災ノイローゼ。母の実家も焼け、6人の弟(斎藤茂吉の家に書生として入りアララギ派に貢献した小暮政次も弟の1人)たちを残して母親が亡くなり、精神的にも不安定で、なかなか子供が出来なかったらしい。 10年目に私が生まれてホッとしたらしく、次に妹、次に弟(加藤尚武元京都大学教授=環境倫理学)と、立て続けに出産している。私は1歳のとき、ジフテリアにかかって緊急入院。命は何とか取り留めたものの、ジフテリアの後遺症で喉が弱く、痛くて何も食べられないとき、父が作った牛乳ごはん(堅く炊いたご飯に牛乳を入れたおかゆ)が唯一の食べ物だった。 牛乳ごはんが私の常食 荻窪の家の隣にはノラクロ漫画の田河水泡氏のアトリエがあったが、父は、同じ荻窪区域内で、私を助けてくれた小児科勤務医の飯島先生の隣に引っ越してしまった。 夜中、私が40度近くの熱を出すと、父は私を抱いてタクシーを呼ぶ。飯島先生も乗って新宿の淀橋病院に行く。2~3日入院して、熱が下がったら帰る。その繰り返しだった。家に帰って来てからも喉が痛く、牛乳ごはんが私の常食だった。 土浦に嫁いで来て、私を救ってくれた飯島先生が牛久の飯島家出身ということを知り、びっくりした。龍之介の実家以来、牛乳瓶は私の食のシンボルだったのである。(随筆家、薬剤師)