【コラム・浅井和幸】人はいろいろなことを想像するものです。そして、想像と事実の区別をつけずに、事実とは別のところで怒ったり泣いたりして、苦しんでいることが多々あります。
相手のことを気遣う想像力が足りないからだ、と指摘されることがあります。もちろん、そのような理由もあるでしょう。複数の想定をして、それらは自分が想像した仮説であることが認識できれば、事実でないことでの腹を立ちはないでしょう。
それと同じぐらい、自分の思い込みを足して苦しんでいないかを改めて考えてみると、苦しんでいることの多くの部分がなくなる可能性があります。いろいろな例を羅列しますので、自分自身でどのように対応したいのかを想定してみると面白いでしょう。事実は何で、どこが想像なのか、考えてみてください。
確認して事実と置き換えて進む
私は友人に「今日のランチはカレーを食べるか?」と聞きました。友人は「食べない」と答えました。私は「なんだ、昨日の夜もカレーだったのならば、最初から言ってくれよ」と言う。
友人に送ったラインに「既読」がついたまま返事がない。友人は自分のことを無視している、自分のことを軽く見ている、バカにしている―と怒る。
誰も自分に声をかけてくれない。それは自分の見た目が悪いからだ。自分に魅力があればみんなが寄ってくる。
何もかも忘れて集中できる趣味があるから、みんな幸せに生きている。
私「お金に困らない生活をしています」。Aさん「それは、たくさんの収入や貯蓄があると言うことですか?」。私「人並以下の支出しかしないからです」。
想像、想定、過程、予想―それがいけないのではありません。確認できることは確認して、それらを事実と置き換えて次に進むことが大切です。事実を無視して決めつけてしまうと、思い込みの中で生きていくことになってしまいます。(精神保健福祉士)