【コラム・塚本一也】2022年最初のコラムになります。本年もよろしくお願い申し上げます。年頭に当たっては、私にとって最も思い出のある土浦駅を取り上げます。
JR常磐線土浦駅は1895(明治28)年に開業しました。当初は常磐線のみの停車場でしたが、1918(大正7)年に本コラム2(2020年6月13日掲載)でも取り上げたことがある筑波鉄道線が開業し、同線の始発駅も兼ねるようになりました。
現在の橋上駅舎は、1983(昭和58)年、つくば科学万博開催に合わせて、駅ビル「WING(ウィング)」と共に開業しました。私の思い出に残っているのは、その前の2代目木造駅舎の時代です。中央に時計台がそびえ立つ「軍艦型駅舎」と呼ばれた駅です。
小学生のころ、出張から帰る父を土浦駅まで迎えに行くと、改札口を出る前に、立ち売り駅弁をお土産に買ってきてくれました。竹の皮でできた弁当のふたを開けると、ご飯粒がたくさん付いており、一つずつ剝がして食べるのが楽しみでした。
衝撃的なフィッシュバーガー
また、千代田村(現かすみがうら市)志筑にある、母の実家へ夏休みに遊びに行くときは、土浦駅で石岡行バスに乗り継ぎました。駅舎の向かいにあった2階建ての土産物店の上階が食堂になっており、そこでクリームソーダを飲みながら眺める駅前の景色が、子供心に都会の風景として焼き付いておりました。
中学生くらいになると、友人とバスで土浦へ行くことが「大人の証し」となってきました。木造駅舎の1階にハンバーガー屋ができたのも、この時代だったような気がします。今風に言えば「エキナカ」という表現になるでしょうが、タルタルソースがたっぷりかかったフィッシュバーガーは田舎の少年にとって衝撃的な味でした。
そんな、時代の最先端だった土浦も、いつの間にかさびれてしまい、市街地からは大型商業施設が消えて久しくなります。土浦駅からは一度駅ビル会社が撤退したものの、今では、都心に展開する駅ビル「atre(アトレ)」が進出し、星野リゾートと共同でサイクルツーリズムを目玉に新たな分野にチャレンジしています。
茨城県南の中心だった土浦の当時を知る世代の一員として、土浦市の再生を願ってやみません。(一級建築士)