【コラム・山口絹記】

「英会話スクールって、どうなんですか?」。周囲からこんな質問を受けることがある。漠然と訊(き)かれても困ってしまうのだが、すでにある程度英語を話すことができるのであれば、発音や語彙(ごい)表現力の向上には役に立つというのが私の意見だ。少なくとも、0から1を作るには効率の悪い場だ。

また、普段から英語で話す機会があっても、友人知人から会話表現の不自然な部分をいちいち訂正されることもあまりないので、講師と生徒という関係、レッスンという形には意義があるだろう。

実際に会話の中で「困る」という体験を繰り返すことで、今の自分に何が足りないかを効率よく知ることもできる。

私も2年ほど、毎日25分のオンラインレッスンを受けていた時期がある。英会話のレッスンといっても、英語で書いた論文の文章チェックをしてもらいながら議論したり、退官した哲学の教授に英語で講義をしてもらったりといった活用方法だった。

要は、英語で英語を教えてもらうだけではもったいないということだ。必要なこと、興味のあることを、英語を使って学んでしまえば一石二鳥である。

もちろん、本来の目的も忘れてはいけない。私の場合、自分の英語表現の不安な部分を会話の中で質問し、発音や文法に関しては厳しくチェックして、適切な表現はリアルタイムでチャットに書いてもらっていた。チャット欄に残されたテキストは印刷して、自分の英語表現上の悪い癖を直す教材にしていた。

普通の学校生活同様、主体性なしに意義のある時間を過ごすのは難しいだろう。

「今日はフリートークで」

また、どうしても疲れているときは、「今日はフリートークで」とお願いしていた。講師との関係性にもよるが、家族の話や、音楽、映画、写真などの趣味の話をするのは、よい気分転換にもなるし、語彙力の向上にもかなりの効果がある。

同じ英会話スクールを何年も利用していれば、中にはお互いのことも深く知り合うような関係も生まれてくる。そうなってくると、「この間、他の生徒さんがこんな話をしてたんだけど、日本にはこういう文化があるの?」と逆に質問をされたり、英語では検索しても出てこないような情報を、こちらが英語に訳して説明をしたり、料理のレシピを提供したり、時には人生の節目における相談事を受けたり、落ち込んだ時はお互いをなぐさめるような場面もあったりする。

仲のよい講師に出会えるかどうかはもちろん運次第なのだが、英語というのは言語であり、言語はコミュニケーションのための道具なのだ。もっと話したい、相手のことを知りたい、自分のことを知ってもらいたいと思う気持ちに勝る勉強の動機はなかなか無い。

英会話スクールでこれだけ英語力が伸びました、という要素はもちろん第一義なのだが、この人に会えて良かったと思えるような出会いの可能性があることも、英語を学び、英会話スクールに通う意義であると、私は考えている。(言語研究者)