【コラム・山口絹記】「手術、終わったよ」。自分のことばで伝えるというのが、今の私には大切なことだ。それは、とりあえず元気だ、という証拠であり、同時にことばを失っていない、という証拠になるからだ。

自分が元気に生きているということを、一対一で伝えなければいけない人というのは実はそう多くないのだな。手術前に作った連絡リストを眺めながら、そんなことを考えた。

術後のリハビリでは―と言っても、後遺症がほとんどないため、お話するだけなのだが―ずっとお世話になっていた言語聴覚士の方が、失語について学ぶためのおすすめ書籍を教えてくれながら「山口さんのリハビリをしないで済んで、本当に良かったです」と言った。術前は話せた人が術後に話せなくなってしまうことは、当然だが、普通にあることだそうだ。

担当医の先生に抜糸をしてもらったときには、手術の難易度を定量的に教えてほしいと頼んでみた。5段階のグレードのうち、私の状態はグレード2で、グレード3になると手術するか迷う状態。グレード4以上になると手術は危険なため、基本的に放射線治療などになるらしい。

「そういうのって、普通術前に聞きませんかね?」。先生は苦笑しながら、「山口さん、割と無理する人だから、やっぱり3針縫っておきましょう。一応50針の傷ですから、かきむしったりしないでくださいよ。はがれますからね」と、もう一度頭を縫われた。

一度退院してからも、手術の影響で軽い硬膜外出血を起こしたり、短期間に2度インフルエンザで倒れたりといろいろあったものの、桜が咲くころには体調も落ち着いた。

「パパ、だいぶしゃべれるようになったね」

桜吹雪の中を娘に手を引かれて走る。空を舞う花びらと、大きなその幹に私は目を奪われるのだけど、娘はそんなもの見てはいない。素晴らしいものを見つけたのだろう、何かを指差しながら、ただ全力で走る。私には何を指しているのかわからない。

一度失ったことばは取り戻したが、時とともに失ってしまった小さいころの記憶が戻ることはあまりない。失って、取り戻すことのできないものの見方があるとしたら、その視点で、見方で、見たものも失っているのかもしれない。だとしたら、私の中にはどれだけのものが残っているのだろうか。

「何かいいもの、見つけたの?」。ちょっと無粋だなと思いながら娘にたずねてみる。娘は私の顔をじっと見つめてしばらく何かを考えていたようだが、説明することを諦めたのだろう。すべり台へ走っていってしまった。

抱っこした娘の頭にくっついた桜の花びらを払い落としながら、家路につく。

「まだ遊びたい」「帰らない」とジタバタする娘を「お昼ごはんの時間です」とたしなめながら、いつの間にか、娘もずいぶんとことばを話せるようになったものだなと感慨に浸る。

すると、娘がなぜか、内緒話をするように耳元に口を寄せて、「パパ、だいぶしゃべれるようになったね」とささやいた。私は一瞬呆気にとられ、大笑いしながら言った。 「おかげさまでね」-おしまい-(言語研究者)