毎早朝自宅から徒歩10分のところにある霞ケ浦総合公園を散歩する。豆柴犬の運動&トイレと歩数ノルマ稼ぎ(目標1日1万歩!)のためだ。40~50分歩くので豆柴と対話しながらいろいろなことを考える。例えば総合公園に接する霞ケ浦の水質問題とか。来秋の世界湖沼会議についての本ニュースサイト記事も頭を刺激する。
逆水門への疑問
10数年前、国交省の霞ケ浦河川事務所長と湖の水質問題について議論したことがある。アオコが繁殖するほど水質が悪化したのは、利根川との間に逆水門(常陸川水門)を設けて霞ケ浦を溜め池状態にしてしまったからではないか。昔のように太平洋との仕切りをつくらず、海水と淡水を往来させれば自然(海)の力で湖水は浄化されるのではないか。私の論点はこういうことだった。
これに対し所長さんは理路整然と反論した。①昔のように海水が湖に入ってくると干拓地の稲作が塩害を受ける②鹿島地域などの工場で工業用水が取水できなくなる③水位が高い利根川から水が流れ込むと湖の周辺で水害が多発する―と。
③は水門の機能そのものだから論破は難しい(ただ原則開門・非常時閉門にする手はある)。しかし、①と②は農業や工業振興のために自然に手を加えてしまったので元に戻せないということであり、農工振興<自然保持(観光振興?)の視点に立てば説得力は弱くなる。
所長さんの反論に私はこんなことを言ったと記憶している。湖面を埋めてでも農業用地を拡げなければならない時代は終わり、減反が叫ばれている今、①は見直し可能ではないか。海水を淡水化するプラントが中東などで使われている今、②も見直し可能ではないか。つまり産業振興が最優先された戦後昭和の考え方を見直してもいいのではないかと。
自然に任せる浄化
開発計画に基づいて、ある基盤が出来てしまうとそれを元に戻すのは難しい。産業界はその基盤の上にビジネスを展開し、行政は過去の決定を覆すのを嫌うからだ。その形を変えるのは政治の役割だろう。湖面をいじくり回す浄化ではなく、自然に任せる浄化を考える時代になったのではないかと。
散歩の相棒豆柴には「湖がきれいになったら水遊びができるね」「海からシラスウナギがどんどん上がってくれば天然鰻蒲焼きが食べられるね」「汽水湖になったらシジミがとれるね」「湖の周辺が一大リゾートゾーンになったら人がいっぱい来るね」「うちもボートを買って夏は孫たちを呼ぼうか」と話しかけている。(坂本栄)