【コラム・浅井和幸】「浅井さんさぁ、何とかなんないかなぁ」。電話から、Aさんの声が聞こえたのは、2011年3月11日から1週間ぐらい経った日だったろうか。そう、あの東日本大震災の少し後。以前からの知り合いAさんは、福島に送る支援物資の調達活動に関わっていた。その中で、数トンの米を寄付いただけることになったが、それを福島まで送る手段を探しているとのことだった。
とても立派な活動で、お手伝いしたいのは山々だけれど、当時の私には(今もだけれど)、それに対応できる方法が想像もつかない。「え~っ、ちょっとどうしてよいか分からないけど、とりあえず考えてみるので期待しないで待っていてください」。そう回答するのが精いっぱいだった。
さて、何人かの知り合いに声をかけてみる。もちろん、よいアイデアは無い。知り合いもみな被災しているし、ガソリンも不足しているし…。そこで、当時始めたばかりだったツイッターで呼びかけてみた。電話がつながりにくい当時、ボランティア同士のやり取りや情報収集に役に立っていたけれど、今ひとつ使い方が分からず、わらをもつかむダメ元ってやつ。
そうしたら、所有しているトラックで運転して持って行けますという声が返ってきた。まったく見ず知らずの人だ。急いで電話で連絡を取ると、ガソリン代も交通費もいらない、すべて無償のボランティアで協力してくれるとのことだった。
こんなこともあるものなのかと、最初は半信半疑で話をすると、とても誠実そうな声で、丁寧に話をしてくれた。Aさんの連絡先を教えるので、直接話してもらってもよいかと尋ねると、その方は何の躊躇(ちゅうちょ)もなく連絡すると答えてくれた。
後日、Aさんから連絡があり、うまく、ことが運んだそうである。さすがと、Aさんは私をほめてくれたが、どう考えても、素晴らしいのはAさんとそのトラックドライバーの方。本当にこんなことがあるんだなぁと、このような素敵な人たちと話ができたことをうれしく思っていた。
感謝、感謝 元気の源
その後も、ネット上で呼びかけたら、見ず知らずの他県の方から、乳幼児用の服や離乳食の詰め合わせが送られてきたこともあった。それは、ある貧困の若夫婦にお届けした。その時に添えられていた、温かい文章が書いてあるかわいらしいメモは、今でも宝物のように事務所の机にしまってある。たまに思い出して読むと、自分も負けてられないよなと、力が湧いてくる。
そのような印象的なこともたくさんあるし、日常的にタオルが欲しいとか、冷蔵庫が欲しい―など、私のおねだりに応えてくれるネットワークのおかげで、私の様々な活動が成り立っている。おねだりをする前から、まだ使えるどころか、浅井家で使っている品物よりもキレイで高価なものを、必要ないかと声をかけてくれる方たちもいる。
感謝、感謝なのです。私の元気の源と言ってよいでしょう。(精神保健福祉士)