【コラム・山口絹記】よく知っているメロディが、どうしても思い出せないことがある。一部を聴けばすぐに思い出して口ずさむことができるのだが、きっかけがないと、どうしても思い出せない。音感のある友人は、楽譜を覚えていれば思い出せると言っていたが、なるほど、きっと記憶に対するアクセス手段が多いほど、思い出せる可能性が高くなるのだろう。

ことばの場合はどうなのだろうか。

「Houston, we’ve had a problem by the way. I’ve lost my sense of speaking in Japanese…」くだらない英語の独り言。母語である日本語を諦め、第2言語で考え始めると、さっきまでモヤがかかったような思考が途端に冴えてきた。

しかし、日本語は話せない。無理矢理日本語を意識しようとすると、思考までが鈍り、慌てて英語による思考に切り替える。まるで、ことばの通じない異国に突然放り込まれたような気分だ。

そして同時に、どこかで安心している自分に気がついた。ことばを発するというのは、主体的に他者と関わるということだ。他者との関わりにおいて、話す能力がないというのは、傍観者になるための免罪符になりうるのだ。気楽ではないか。失語症の人間が意見を言わないことを誰が責められる? 実は第2言語が話せるなど、誰が知り得る? 黙っていればわかりはしないのだ。

私は今、一体何者なのだろう。日本という共同体に生まれ、日本国籍を与えられ、何も考えずに日本語を話してきた今までの30年が、まるで夢のようだ。

2言語で考える

何もかも、考えるのが面倒になって目をつむった。

不思議なことに、普段思い出すこともないような、第2言語で生活していた時の記憶が鮮明に思い出された。通常、意識しても消えることのない母語というノイズが消えてしまったからだろうか。

雨降る夜の台湾。顔を突き合わせて語り合う相手のしぐさや表情、香辛料の香り。中国語の喧騒。英国の野営場で、火を囲んで冗談を言い合う仲間。飛び交う数多の言語。葉巻の煙。遠くから聞こえるジョン・デンバーのカントリーロード。泣きながら大切な人と別れを惜しんだ異国の地。

記憶が身体を貫いて、心が散々になって、時間のないその場所で、ことばを失くしたそのどこかで、思い出した何かの欠片をつなぎ合わせていくうちに、握りしめられるような気がしたその感触に、残り香に、思い出せそうで思い出せないメロディに、私は大切なことを思い出した気がした。すべての時間と場所と経験は、今の私につながっている。

ことばで通じあうことの幸せを、悲喜こもごもを、私はもう知ってしまっているのだ。

母語を失ったと考える必要などない。日本語が必要ならば、第2言語と思って学べば良い。2歳の娘が今まさにやっていることを、親ができないなどと言えるわけがないだろう。

その時、突然カーテンを開けて妻が現れた。

妻に英語は通じない。今は何も言ってやれない。私は身振り手振りで時計と筆記具が欲しいと訴えた。妻が慌てて出ていったのを確認して私は口を開く。

「I have no choice.(やるしかねぇ)」-次回に続く-(言語研究者)

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