【コラム・古家晴美】今年の初午(はつうま)は2月9日です。茨城県の郷土食「すみつかれ」「しもつかれ」「しもづかり」「すみつかり」「つむちかり」などを耳にしたことがある方も多いと思います。初午の際に作り、藁苞(わらづと)に詰めて赤飯と共にお稲荷様や氏神様に供えて豊作を祈ります。

この郷土食は、栃木県を中心に、隣接した茨城県西部、群馬県、埼玉県、千葉県、福島県奥会津地方など、北関東で主に作られています。大根を鬼おろし(竹製の粗い目のおろし器具)でおろしたものと節分で残った炒り大豆、年取り魚である鮭の頭、そして人参、油揚げを、酒粕(さけかす)・醤油(しょうゆ)・砂糖・酢・塩などで煮たものが広く知られています。各家で作ると重箱に入れて互いにやり取りし、7軒分食べると中風(ちゅうふう)にならないと言われてきました。

しかし、茨城県では県西地域以外にも、県南地域(かすみがうら市・石岡市・土浦市・つくば市)や鉾田市では、上記のものと少し異なる「すみつかれ」も報告されています。炒り豆と大根を酢のもののように甘酢に浸して生食する非常にシンプルなものです。

『宇治拾遺物語』『古事談』に登場

「すみつかれ」の文献上の初出は、鎌倉時代に完成した『宇治拾遺物語』と『古事談』です。炒った大豆に塩をつけ酢をかけた「酢むつかれ」を天台宗の僧侶が食べるというエピソードとして登場します。これが現在の2つの「すみつかれ」のルーツなのではないかとの説が、現在有力です。(吉川誠次『江戸と関東食誌考』、松本忠久『ある郷土料理の1000年』)

前書(松本)では、家康の本葬を契機とし、上野寛永寺、日光東照宮に隣接した輪王寺創建など、江戸以北で勢力拡大を図ろうとした天台宗比叡山の僧侶が「酢むつかれ」をもたらしたではないかと推論しています。江戸を経由して水運や陸路で北関東に伝わり、この原型に近い形で残っているものと、醤油の庶民への普及、鬼おろしの考案などにより、酒粕・油揚げ・人参・砂糖や酢などを加え加熱したものへと進化したものに枝分かれしたのではないかと指摘されています。

関東での醤油生産は江戸後期であったということ、醤油が加熱により独特の香りと照りを出すことなどを考えに入れると、煮た「すみつかれ」が後に登場したことは納得がいきますが、京や近江で食べられていた「酢むつかれ」が、北関東の農村へ持ち込まれ、どのような経緯で分派したかについての史料的裏付けは、今後より詳細に行っていく必要があると思います。

前回は「雑煮」の地域的多様性と歴史的な変化についてご紹介しましたが、「すみつかれ」の多様性や変化も、それに勝るとも劣らずと言えるものかもしれません。(筑波学院大学教授)

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