【コラム・浅井和幸】何とか差し入れたお菓子とパンでAさんは食いつなぎ、月曜日になりました。収入が減ることにもなりますが、ひと月、半月先の心配をしている余裕はありません。今、手持ちのお金も食料も、底をついています。その日は仕事を何とか休み、熱心な社会福祉協議会の職員と市役所に生活保護の申請に出かけられました。
その日のうちに、Aさんから電話が私のところに入りました。着信を見た段階で私は一安心したことを覚えています。凍え死ぬこともなく、自ら命を絶つこともなかったのだなと。月曜なので市役所も動いているし、何とか命がつながったと思ったからです。ですが、それは早合点でした。
「お金を貸してくれる人はいません。どうやって住み込みの面接のところまで行けばいいのか。やっぱり死ぬしかないと思います」。泣きながらまくし立てるように、Aさんは話してきました。
一瞬、何を言っているのか、私は把握できませんでした。「いったい何があったのですか?市役所には行けなかったのですか?」。福祉課で相談は出来たけれど、困っていることへのアドバイスは下記のようなものだったそうです。
「行政の手続きが半月ぐらいかかる。Aさんは、今働いている分の給料が出るのと同じぐらいの時にしか支援が出来ない。なので、どこか住み込みの仕事を探して、そこに移り住みましょう。面接時の移動や移り住むための費用は、借りられる人を探してみたらいかがでしょうか」
ダメ押しとして、市の支援を受けていれば食糧支援を受けられるかもしれないと社会福祉協議会の職員から聞いたとのこと。つまり、食糧支援も受けられないということです。住み込みの仕事も、市役所や社会福祉協議会では斡旋(あっせん)してくれませんから、自分で探さなければいけないのです。
絶望させるやり取りが福祉相談か
ここまで聞いて、やっと、「現状は変わらないし、死ななければいけない」というAさんの覚悟の意味を理解しました。というよりも、私自身が怒りを抑えるのに必死でした。絶望させるやり取りが福祉(幸福)相談なのかと。なぜ、悪循環をつくるようなことをするのかと。
1人暮らしの女性が、何度も役所や福祉法人に相談に行くことの重さ、味方が誰もいない孤独と不安は、想像を超えるものです。私は、真面目に動いてきたので何とかなるからと、Aさんに伝えました。
それから、知人やネットで食べられるものを募り、居住支援法人の倉庫にあった炊飯器と電気ポットを車に積みました。フードバンクと確認書を交わし、議員、民生委員、ボランティアらと連携をとって対応することにしました。
その後もAさんは、電気の線を切られたり、ドアを強く叩かれたり、怒鳴られたりという嫌がらせにおびえ、耐えつつ、今までとは別の人生を生きるために頑張っています。
2回にわたってお伝えしたAさんのケース。本人には断って掲載していますが、複数部分で脚色をしています。(精神保健福祉士)
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