【コラム・奥井登美子】亭主を老人性うつ病にさせないために、①本とのつきあい②好きな友達とのつきあい③好きな食べ物の提供―とりあえず、この3つの試みだけを断固実行してみることにした。
亭主も製薬会社の研究所勤務の時代は、辰野高司さんの下で日仏薬学会を設立し、この間亡くなったが、日本びいきのシラク大統領が来日した時には握手してもらったという。
当時、彼はフランス料理もワインも、フランス人と一緒に会食したりしても困らないだけの知識と体験を持っていたはずなのに、いつのまにかフランス料理どころか、どの料理も何もかもどこかへ「蒸発」してしまっていた。
茨城に住んでいると、すばらしい新鮮な野菜が手に入る。一生懸命に私が調理しても、なぜか気に入らない。醤油注ぎがどこかに隠してあるらしく、醤油をかけてしまうのである。幼いころに食べた料理だけが料理と思いこんでいる。
昭和一桁(けた)。戦争で食べ物の一番少ない時代に、英会話が大好きだけれど調理の大嫌いな母親に育てられたせいか、手の込んだ調理をすると、なぜか気に入らない。
風邪のおかげで老人食の個性を体験
この間、私は薬屋のくせに、不覚にもシツコイ風邪にかかってしまった。「ママは何もしなくていいからね」。娘が亭主の食事を運んでくれた。
昼の弁当、夜の食事。つくばの有名店とやらに注文したらしく、キラキラした器に入っていて、豪華で、見ただけでもびっくりする。今の若い人たちは、こんなに美しいものを食べているのだ。私も大いに勉強させてもらった。
しかし食べてみてびっくり。どれもこれも塩分が少し多すぎて、1食7グラムくらい。1日食べたら20グラムくらいになってしまう。亭主の塩分は1日3食で6.5グラムと決められていて、私はその中で今まで悪戦苦闘してきた。せっかくの豪華弁当も塩分の制限で私たちにとっては幻弁当になってしまった。
塩分も慣れてくると、彼は時々内緒で醤油をかけているらしいが、なんとかやりくりできるようになっていたのである。風邪のおかげで、老人の食事の個性を体験することができた。(随筆家、薬剤師)
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