【コラム・相澤冬樹】二十三夜の月待のことを書いたら、つくば市吉瀬にある朏(みかづき)神社の縁者から「三日月信仰のことも調べてくれ」と頼まれた。古来、月の出を待ってお月見をする行事は十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜、二十六夜あたりで、三日月待はあまり聞かない。

二十六夜の月は「後の三日月」とも呼ばれ、細身の円弧を右下に光らせた月が未明に上がってくるが、朔(新月)を1日目として3日目の月は太陽を追うように昇ってくるから、月の出にはまず気づかない。三日月と分かるのは日没時で、月の入りを拝む形となる。二十三夜尊を「三夜様」と簡略化する言い回しに倣(なら)う可能性も捨てきれず、月待に三日月を含むのはためらった。

しかし、「月」が「出」ると書いて「みかづき」と読ませるのはおもしろく、つくばにあるもうひとつの三日月神社を思い出した。旧谷田部の市之台にある神社で、祭神に三日月不動明王を祀る。慶長十六年(1611)創建と伝わり、1977年に現在の社殿に改築されている。地区住民に聞くと「特に三日月にこだわった行事はない」という。正月の元旦祭と夏の祭礼が賑わう。

社にはなぜか豆腐の供え物がある。俗に、三日月に豆腐を供えて祈るとイボや魚の目、できものなどの皮膚疾患に霊験があるとされ、治癒や回復の際には供えた豆腐を引き上げて川に流すそうだ。吉瀬の朏神社にも伝わる風習だ。

ひょっとして、朏の「月」は「にくづき」であって、「出物」「腫れ物」からイボに転訛(てんか)したのではないか。そういえばつくば市上横場には「疣神社」なる額の掛かる小社があって、何と読むのか聞いて回り、やっと「いぼ神社」というのだと知ったことがある。皮膚疾患の悩みは広く、古くからあり、治癒の願を掛け、成就の際に感謝を捧げる神社が各地にできたのは想像にかたくない。

実際調べてみると、つくば市内にはこのほかさらに2つの三日月神社が見つかった。共に旧筑波の田中と小田に所在する。

田中の日枝神社は貞観二年(860)創建と伝わる郷社で、「山王さま」として近在に親しまれている。社殿前に広い流鏑馬(やぶさめ)場があることでも知られるが、鳥居をくぐると社殿に向かって左手に小さな社があり、これが三日月神社で「みがづきさま」と称される。鳥居や堀の石組みに三日月の紋がみえる。ここでもイボや魚の目の除去、あざの消去に御利益があるといわれている。

小田の町なかから小田城跡歴史ひろばに向かう路地の道端に鳥居と祠(ほこら)が建っている。脇の石碑から、ようやく「三日月尊」だと知れるが、由緒等は分からない。石碑に記された人名から氏子らしき人を訪ねると、今は地区の氏子2人で守っている社だという。祠の中には「三日月尊」と書かれた札が一枚、特に祭礼などは行われない。

29日は旧暦霜月三日、晴れていれば夕焼けの空に「消えそうな三日月」が見つけられるはずだ。今まさに「がんばっているからね」、平癒の願をかけたい人がいる。(ブロガー)

【付記】「大漢和辞典」(大修館書店)に当たると、「つきへん」の朏と「にくづき」の朏は別字とある。

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