【コラム・奥井登美子】「立派な老人性うつ病です。入院中の安全のために両手を縛らせていただきました」。舅(しゅうと)を診断した老人精神科の専門医の言葉は、私に重すぎた。

舅はとても手先の器用な人で、「死にたい」と言い出すと、紐(ひも)状のものを探し出しては首に巻き付けてしまう。それより危険なのが「タバコ」。タバコはないのにマッチやライターを探してきて火を付けてしまう。

親類や近所の人に舅のボケ(認知症という言葉も当時は用語としてなくて、全部ひっくるめてボケと表現していた)を隠して欲しいと、姑(しゅうとめ)から厳しく言われていたので、彼らは舅の病気を知らない。

知っていても対応できる病気ではない。親類が来ると仏壇に線香をお供えして帰る。仏壇の周りをくまなく探すと、マッチやライターが出てくるのだ。何回ボヤ騒ぎを起こしたかわからない。布団の下の畳まで燃やしてしまったこともある。

病院ではベッドの柵(さく)に両手を縛られて安全が守られていたけれど、家で、私が舅の両手を縛ったりしたら、隣近所、親類が大変なことになってしまう。事故を起こさない覚悟を決め、昼間は誰かしらに側にいてもらったが、子育てと、薬局と、夜中の介護で、丸4年間、私は身体がいくつあっても足りない毎日だった。

幸福感を強調する作戦

親子だから、亭主も性格が舅に似て、くそ真面目で律儀な人である。テレビのニュースは暗い話題が多くて見たくないという。私は亭主を老人性うつ病にだけはしたくないと、相手に気づかれないように、それとなく早くから対策を立てるようにした。

われわれの育った時代と今、何が違うかというと、「幸福感」が違う。何を幸せと感じるか、私は「幸せ感」を強調する作戦に出ることにした。まず食べ物から…。

「私は小学生のころ、白いご飯が食べられるだけで、とても幸せだったわ」

「僕は、それに生卵があれば何もいらなかったよ」

「今日のご飯は、いただいた新米なの。でもおかずは、買い物に行く時間がなくて、あり合わせのものばかり。ごめんね」

「新米なら、味噌汁だけでもいいよ」

「茨城は、野菜が美味しいから助かるわ。タケちゃん(私の弟で食通)たち東京の人はこんな野菜の贅沢できないものね」(随筆家、薬剤師)

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