【コラム・小野村哲】温暖化対策の実行を訴え、毎週金曜日、学校をストライキし始めた1人の少女の活動が、世界へと広がりを見せている。その活動は、「学校の勉強より大切だ」という彼女らは、「子どもの未来を奪うな」と訴える。世界のリーダーたちは、そんな彼女を「とても幸せな少女」だと揶揄(やゆ)し、また「世界は複雑かつ多彩」であることを知らないという。
なるほど彼らは、世界を複雑かつ多彩、もしくは多難なものにしていると私は思う。しかしそれは私の意見であって、グレタ・トゥンベリさんに対する見方も賛否あって然るべきだろう。しかしそうであったとしても、彼女らの声には真摯(しんし)に耳を傾けるべきではないのか。
つくば市総合教育研究所のWebサイトでは、「つくば7Cスタディ」としてCooperation協働力、Communication言語活用力、Critical thinking思考・判断力…などが挙げられている。しかし、なぜかCritical thinkingについては、そのCをイニシャルとするcritical:批判的の部分が訳されていない。
教育現場では、最近、アサーション・トレーニングなどいう言葉も流行りだした。assertion とは本来、「自分の意見や要求をきっぱりと表明すること」を意味するが、日本社会では、「適切に表明」「お互いを尊重しながら…」などといった側面が強調され、本来の意味からはかけ離れがちでもある。
そこでは「伝えるためのスキル」と同様に、多少耳に痛いことでも「真摯に聴く姿勢」も重視されるべきだが、後者はないがしろにされている様子も伺える。
グレタさんに「黙っていろ」とは言えない
不登校といわれる子の中には、今の学校の在り方に疑問を感じて、「何のために学校に行かなきゃいけないのか?」という声がある。私自身もかつては、「とにかく校則は校則」だと生徒に押し付けていたが、いわゆるブラック校則に関してアンケートを行い、自らの意見を添えて提出した生徒に、「生意気なことを言っている暇があったら勉強していろ」などと言い放つ教師は、今でも変わらずいるようだ。
「7Cスタディ」などと謳(うた)うまでもなく、私たちがなすべきは、「従順で、言われたことを忠実にこなす人材の育成」ではなく、「多様な人と対話をしながら、お互いを尊重し、今、何が必要かを自分なりに考え、行動する姿勢が培われる」ように見守ることではないだろうか。
相次いで日本を襲う巨大台風に、なぜ、このようなことになってしまったのか…と気分が沈みがちになる。次代を生きる人々は、最大瞬間風速70メートルの暴風や、48時間に1000ミリを超えるような豪雨に立ち向かわなければならなくなるのか? だとしたら、彼女、彼らに黙っていろとは言えないのではないか。(つくば市教育委員)
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