日曜日, 4月 20, 2025
ホームスポーツ【茨城国体】相撲少年男子 亀井V、江連3位 個人戦で2人が表彰台

【茨城国体】相撲少年男子 亀井V、江連3位 個人戦で2人が表彰台

【池田充雄】第74回国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」の相撲競技2日目は30日、土浦市の霞ケ浦文化体育会館で行われた。少年男子の団体戦では茨城県チームが5位入賞を果たし、同じく個人戦では亀井颯人(東洋大牛久高3年)が優勝、江連春樹(水戸農高2年)が3位に輝いた。成人男子の団体予選では茨城県チームが3戦3勝を果たした。最終日の1日は成年男子団体および個人の決勝トーナメントが行われる。

少年男子の団体戦決勝トーナメント1回戦、茨城は3-2で青森に辛勝。続く準々決勝では熊本に1-4で敗れ、5位入賞が確定した。「天皇杯獲得に向けてポイントで貢献できた。青森戦ではぎりぎりの戦いになったが、最後に丹羽が3年の意地を見せてくれた。熊本は、今季インターハイ優勝校をベースにした別格の相手だが、全員がチャレンジしてくれた。特に亀井は良い相撲ができ、それが個人戦にもつながったと思う」と山本監督。

喜びの表情を見せる個人戦優勝の亀井㊧と3位の江連

個人戦で優勝した亀井は「今日は立ち合いが決まった。自分の良さである速さと瞬発力が出せた」と開口一番。決勝戦では低く立つと左上手で後ろまわしを取り、相手の横に入って右肩付近に頭を付けた。相手は亀井の右腕を取って一本背負いに持ち込もうとするが、それを振りほどき、後ろへ回り込みつつ投げを打つと、相手はひざから崩れて土俵に諸手を付いた。「自然に体が動き、何も考えず自分のやってきたことが出せた」と振り返った。

個人戦3位の江連は「地元で結果を残せたのでとてもうれしい。3位決定戦では一番いい相撲がとれた」と喜びの声。相手は今季インターハイ個人戦優勝選手。最初の押し相撲から相手の突きをかわして懐に入ると、そのまま土俵際へ追い込んで寄り切った。「立ち合いは相手の方が良かったが、気持ちで負けずに自分の相撲が取りきれた。当たって前へ出て、止まらず相手に攻める隙を与えない押し相撲ができた」と振り返った。

成年男子団体も決勝Tへ

成年男子団体予選は1回戦徳島に2-1、2回戦鹿児島に3-0、3回戦大分に2-1と3戦全勝。目標のベスト4以上に向けて上々のスタートを切った。「少年が頑張ってくれたので大人も続いていきたい。刺激を受けたようでチームにいい緊張感がある」と益子翔太監督。3選手のうち金子尚平と寺田貴博は3連勝なので個人戦にも出場となる。「この大会に照準を合わせて十分な稽古を積み、コンディションも万全。地元の声援を力に変えて上位を狙ってほしい」と期待を込めた。

【試合結果】

▽少年男子 団体決勝トーナメント

1回戦 茨城3-2青森
●江連(押し出し) 〇幡谷(寄り倒し) 〇亀井(突き落とし) ●花房(寄り倒し) 〇丹羽(引き落とし)

準々決勝 茨城1-4熊本
●江連(突き落とし) ●幡谷(下手投げ) 〇亀井(下手投げ) ●花房(上手投げ) ●丹羽(突き出し)

決勝 鳥取 3 ー 2 和歌山
(鳥取は6年ぶり5度目の優勝)

団体戦5位入賞の茨城県チーム

▽同 個人決勝トーナメント

1回戦
幡谷健人〇 寄り倒し 影山由伸(埼玉)
江連春樹〇 押し出し 後藤大翔(宮城)
亀井颯人〇 寄り切り バトジャルガル・ムンクジャルガル(神奈川)

2回戦
幡谷健人  寄り切り 〇池田俊(石川)
江連春樹〇 押し出し 上條深能(静岡)
亀井颯人〇 下手投げ 武井朔太郎(静岡)

3回戦
江連春樹〇 押し出し 坂前由基(和歌山)
亀井颯人〇 寄り倒し 小村勇大(石川)

準々決勝
〇江連春樹 押し出し 北野泰聖(熊本)
〇亀井颯人 押し出し 小坂剛司(東京)

準決勝
江連春樹  上手投げ 〇池田俊
亀井颯人〇 突き落とし 大桑元揮(静岡)

第3位決定戦
江連春樹〇 寄り切り 大桑元揮

決勝戦
亀井颯人〇 上手出し投げ 池田俊

▽成年男子 団体予選

1回戦 茨城2-1徳島
〇金子(引き落とし) ●榊原(上手投げ) 〇寺田(上手投げ)

2回戦 茨城3-0鹿児島
〇金子(押し倒し) 〇榊原(押し出し) 〇寺田(突き落とし)

3回戦 茨城2-1大分
〇金子(はたき込み) ●榊原(はたき込み) 〇寺田(寄り倒し)

【成績】

▽少年男子

団体の部 ①鳥取県 ②和歌山県 ③熊本県 ④静岡県 ⑤神奈川県、石川県、茨城県、埼玉県
個人の部 ①亀井颯人(茨城)②池田俊(石川)③江連春樹(茨城)④大桑元揮(静岡)⑤川渕一意(石川)、北野泰聖(熊本)、小坂剛司(東京)、行大成(鹿児島)

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6年間で280件、誤った発信者名で通知 つくば市

福祉事務所長と市長業務の区別誤る つくば市は17日、認可外保育施設に対する指導監査事務と生活保護に関する事務について、法令や市の規則に定められた福祉事務所長が行うべき業務と、市長が行うべき業務の区別を誤り、2019年度から24年度まで6年間で計280件について、誤った発信者名で通知を出していたと発表した。 市社会福祉課によると、認可外保育施設の指導監査については、毎年1回行っている指導監査などの立ち入り調査や調査結果の通知を、23年度は63カ所に対し128件、24年度は54カ所に対し108件、計236件の通知文の発信者名を、つくば市長名で出すべきところ、市福祉事務所長名で発送していた。 児童福祉法に関わる認可外保育施設の指導監査事務については、権限が知事から市に移譲され、さらに市長から市福祉事務所長に委任された。その後22年度末に市の規則が改正されて市福祉事務所長への委任が削除されたことから、つくば市長名で通知を出すべきところ、市福祉事務所長名のままで発送していた。 一方、生活保護行政に関わる事務については、2019年度から24年度までの6年間で計44件の通知文について誤った発信者名で通知していた。具体的には①遺留金品の処分について、金融機関に対し23年度と24年度に計3件、市福祉事務所長名で通知すべきところ市長名で通知を出していた ②医療扶助や介護扶助の損害賠償請求に関しては、保険会社に対し20年度から24年度までの5年間で計5件、市長名で通知を出すべきところ福祉事務所長名で出していた ➂生活保護受給者らへの費用の徴収に関しては、受給者に対し19年度から23年度まで5年間で計36件、市長名で通知文を出すべきところ、市福祉事務所名で出していたという。 生活保護法に関わる生活保護の行政事務については、市の規則により、市長から福祉事務所長に委任されている事務と委任されていない事務があるにもかかわらず、一部の通知文で誤った発信者名で通知していた。 今年4月、社会福祉課内の職員から指摘があり、過去にさかのぼって調査したところ、誤りが分かった。市の規則について、当時の管理職を含む職員の認識不足が原因という。 今後の対応として市は、市ホームページに関係機関に対するお詫びと、通知文の内容は無効でない旨を掲載すると共に、関係機関と関係者に順次、説明と謝罪を行うとしている。 再発防止策として、根拠法令と市の規則を再度確認し、管理職を含む課内職員全員で適切な運用を徹底していくとしている。 福祉事務所は、社会福祉法に規定された福祉に関する事務所で、福祉6法に定められた事務を行う社会福祉行政機関。市役所とは別の行政機関になるが、市役所内にあり、市社会福祉課など市の関係部署の職員で構成されている。福祉事務所長は市福祉部長が務めている。 【14時15分 訂正】認可外保育施設について「指導監督」を「指導監査」に、生活保護について「扶養義務者」を「生活保護受給者ら」に訂正しました。

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