【橋立多美】生後6カ月の時にインフルエンザ脳症を発症し、後遺症で「一生歩くこと、しゃべること、笑うことはできないでしょう」と宣告された遥(はるか)君が笑顔を取り戻し、意思を伝えるまでの道のりをつづった「会話の軌跡―重度重複障害者の息子とのコミュニケーション」をつくば市の江藤睦さん(56)が自費出版した。

それは22年前の12月6日のことだった。長男が通う幼稚園の行事に生後半年の3男遥君をおんぶして参加した。行事が終わり、帰路について背中の遥君がけいれんしていることに気付き、筑波メディカルセンター病院に搬送された。
数時間後に対面した遥君はICU(集中治療室)で人工呼吸器とチューブにつながれていた。容態が悪化し緊急の脳外科手術を経て2ヵ月後に退院した。江藤さんは入院中のことを「体は硬直してまるで丸太のようだった。眼球は上転していて見えているかわからない。私にできることは、こわごわと荷物を抱えるような抱っこだけ」と記している。
病院や市立療育センターでリハビリを受けながら遥君の生活能力を上げるためにあらゆる福祉機器を使ってみたが、徒労に終わった。「誰かに生活を助けてもらわないと遥は生きていけない。遥が望む生活をさせてやるには意思の疎通ができなくては。意思疎通の方法を教えて体得させなければ」と思い至った。
根気強く何度も繰り返して単語を、文字は押すと音が出る50音表のおもちゃで教えた。やがて身体障害者向けの意思伝達装置の文字盤を使ってコミュニケーションがとれるようになっていった。公立幼稚園と小学校(特別支援学級所属)では文字盤で友だちと会話し、明るく毎日を送る中で言葉の幅を広げていった。
県立つくば特別支援学校(同市玉取)肢体不自由教育部門の中学部に進学すると、短文を発語して意思を伝達できるようになった。同校の高等部に学んだ遥さんは現在22歳。卒業後の支援プランづくりに本人が加わり、文字や口話で表した希望に添って障害者支援施設に通所している。
江藤さんは「人とふれあうコミュニケーションは生きる喜び。遥がその力を身につけたのは奇跡ではなく、親と子の努力の軌跡がもたらした」と記す。
同書は薬剤師の資格を持っているのに我が子の命に関わる事態に気付けなかった自分を責め、遥君の幸せを願って試行錯誤してきた一人の母親としての歩みでもある。「障害のあるなしに関わらず多くの人に読んでほしい」と江藤さんは話している。

◆167ページ、定価1800円(消費税別)。申し込みと問い合わせは江藤さんのEメール(uraraka22.kaiwa@gmail.com)まで。
◆自分の死後、障害がある子どもは生きていけるのか、と不安を抱く親のための「親なきあと相談室」を開設している。申し込みは上記江藤さんのEメールに。