【コラム・小野村哲】「学校に行きたくない」という子に、私はいつもこう答える。
「プラスになると思えば行ったら。けれど、自分のためにならないと思うんだったら無理して行かなくたっていいんだよ。学校のために君がいるんじゃなくて、君のために学校があるんだから」
すると周囲の大人からは、「そんなことを言われたら困る。それで本当に行かなくなったらどうしてくれるんですか」「まずは学校に足が向くように、背中を押してくれませんか」などと、言われたりする。もちろんその気持ちもよくわかるが、ここで考えたいのは「困る」のも「背中を押す」のも、主語が子どもたちでなくなっていることだ。
「まずは学校に…」というのもどうだろう? 例えば風邪で熱があるときは「まずはよく休んで…」となるのに、心が疲れるなどした子にはなぜ「まずは学校に…」ということになるのだろう? 「明日こそは行かなきゃ…」と自分を追い詰めていたり、「学校にいけない自分はダメだ」と自信をなくしたりしている子もいる。そんな子に「まずは学校に」という姿勢で接するのは、根本から違っていないだろうか?
もし「学校に行きたくない」という子がいたら、まずは「何か話したいことがあったら聞かせて」と、寄り添うことから始めてはどうだろう? もちろん近づきすぎはダメだし、「どうしたの? 何があったの?」と問い詰めるのもNG。自分でも自分が理解できずにイライラしていることもあり、大人になってから、「あのときは自分でもよくわからなかったけど…」というのもよくある話だ。
まずはかたわらに座って、ゆっくりと自身の呼吸を整えてみる。もしそれが難しかったら、「ごめんね。少しドキドキしているから、少し時間をもらってもいい」としてもいい。思いを受け止めようとしていることが伝わるだけでも、安心して落ち着くこともある。
不登校という選択 マイナスだけでない
学校に通うということは、当然のこと、常識かもしれない。しかし常識が正しいと限らないことは、これまた常識だ。ライト兄弟は、当時の物理学の権威が「空気より重い機械は空を飛ぶことはできない」とした常識を、わずか数年後に打ち破った。世界的権威が「イエス」といえば「イエス」、「ノー」といえば「ノー」という発想では、飛行機が空を飛ぶこともなかったわけだ。
ましてやAI時代に突入した今、時代はますますスピードを上げて変化している。子どもたちが戸惑うのも当然だ。もしも思いを隠し続けていたら…と考えれば、「よく言ってくれたね」と、伝えてもいいかもしれない。
学校に行けば授業が受けられる。しかし、家にいる間は好きな本がたくさん読める。これもプラスかもしれない。こうしてその子なりの学びができれば、不登校という選択もあながちマイナス面ばかりとはかぎらない。不登校それ自体は、問題ではない。問題は、それによって自信を失ってしまうことだと思う。(つくば市教育委員)
【おのむら・さとし】39歳で公立中学校を退職した後、つくば市内で不登校や学習につまずきがちな子どもたちのための「ライズ学園」を立ち上げる。県内外で、子育て・英語教育・LD(学習障害)などについて講演活動も行う。NPO法人「リヴォルヴ学校教育研究所」元理事長、つくば市教育委員。59歳、東京都板橋区出身。