【戦後74年の夏】7 ドローンで見る廃墟 鹿島海軍航空隊跡地の風化 ㊦

鹿島航空隊跡地、気缶場の上空から煙突部分をのぞく=撮影・伊能正登(TSORD)

【相澤冬樹】病院関係者によって「霞ケ浦分院史」(1992年)が刊行されている戦後の記録に比べ、鹿島海軍航空隊時代の資料は皆無に等しい。海軍は終戦を前に記録類を徹底的に破棄し、機体などは戦後接収した米軍により処分されたという。証言できる人を探しても、村周辺にはまるで見つからなかった。

国立環境研究所の敷地の北側にこんもりとした森があり、誰いうとなく「アベック山」の名がついた。戦時中、航空隊の兵士が訪ねてきた娘との逢瀬(おうせ)に利用した森だというが、真偽のほどは分からない。しかし、地元の人間が好んで語るエピソードは、これくらいしかない。

航空隊員が見た夏の空

結局、土木建築群だけが戦争遺跡となった。ツタ草のからまる旧司令部庁舎はコンクリート壁の厚さが30センチ、天井までの高さが4メートル以上あるという頑丈な造りで、雨漏りにも持ちこたえている。霞ケ浦分院時代に内部が改造されたが、一部の部屋はヒノキの板壁でシャンデリアやセントラルヒーティングも完備していたという。煙突直下の建物は「気缶場」と呼ばれた。気缶(汽缶)はボイラーのことで、ここには暖房用石炭ボイラーがほぼ原形をとどめ残存している。

ドローンからだとむき出しになったボイラー棟の屋根の鉄骨越しに内部をのぞける。風雨にさらされ、室内にまで夏草が入り込んでいる。村によれば鉄骨に腐食は見られないことから修復は可能ということだが、耐震性など安全強度までは計られていない。煙突越しに機体を高度100メートル以上で飛翔させると、霞ケ浦の土浦入り北方の青空に筑波山の群青の双峰がとらえられる。航空隊員が見た夏の空もこんな景色だったろうか。

ほぼ原形をとどめ残存しているボイラーの焚き口

跡地活用基本構想に進展なく

美浦村は17年3月、同跡地活用基本構想をまとめた。①病院跡地②村域③広域-の3つのエリア単位で、それぞれに所在する資源を活用して文化や観光、レクリエーションの振興につなげようとしたものだ。

鹿島航空隊については「遺構を訪ねることができるよう整える」として、現況保全、防水・耐震補強等を施したうえで、見学ツアーや歴史体感イベントを展開するとしている。さらには道の駅やサイクリングステーションの設置、マリンスポーツ拠点、霞ケ浦巡回航路の整備などを提案している。

アイデア素材を列挙してまとめた内容で、事業規模も事業主体も定めないままの構想。2年以上を経過したが具体化に向けての取り組みはない。病院跡地について昨年11月、一般向け、有識者向けに公開する2日間の内覧会を行っただけだ。

内覧会でのアンケートでは、施設の一般公開を望む声が過半数に達したが、公開に先立っての学術的調査や安全性への配慮を求める声は根強くあった。公開方法についても「戦争遺跡である以上、平和学習、平和教育の意味を持った活用が大前提であり、その共通理解のもとで整備などを進めていく必要がある」などの意見が出された。

美浦村企画財政課によれば、「取り壊してソーラー発電所を拡張するようなことはない」そうだが、これらの論点の整理については未着手。どの方向に向かっていくかの見通しも立っていないという。

(シリーズ「戦後74年の夏」終わり)

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