奥井登美子さん

1982年から霞ケ浦の56本の流入河川200カ所の、市民の手による水質調査が原田泰さんの発案で始まった。パックテストもない時代で、水の分析と、水質をどう考えるか、考え方の根源が問われる調査であった。東大自主講座の宇井純さんも協力。浅野敏久さん、森保文さん、片亀光さん、前田恭伸さんなど、今、それぞれ環境問題の権威であるが、その頃は可愛い学生であった。

1983年琵琶湖での「世界湖沼会議プレ会議」で、私は霞ケ浦で市民が手さぐりで始めた200カ所の水質調査の報告を行った。

1984年「第1回世界湖沼会議」で、土浦の自然を守る会を発足させた医師の佐賀純一さんが「アオコ河童からの提言」という報告を行った。なぜ河童が登場したかというと、当時の霞ケ浦は通称アオコと呼ぶ淡水プランクトンが大量発生し、土浦市内にまでアオコの腐った臭いが充満していた。

その色が河童に似ていたのと、水質調査で歩いた56本の川にたくさんの個性的な河童がいたことを知ったからである。

私はアオコの実物を第1回世界湖沼会議の会場に展示した。霞ケ浦のアオコの臭いを嗅いだ参加者の反応はすごかった。外国人が2人佐賀さんにくっついて霞ケ浦までアオコを見に来て「おー、ゴット」と叫んだ。

宍道湖の漁民は150人もバスで見学に来た。宍道湖の人にアオコを見せたいので送ってほしいと頼まれ、宍道湖しじみ組合に何回も送った。宍道湖の淡水化が阻止され、シジミが残ったのは霞ケ浦のアオコのおかげである。(奥井登美子)

【おくい・とみこ】1955年東京薬科大卒、薬剤師ではなく油絵修復に従事。58年、奥井薬局の奥井清氏(中外製薬勤務)と結婚、土浦に。1895年創業の老舗薬局を経営する傍ら、霞ケ浦の自然を守る活動などに参加。「水の時代をひらく」(KGP総合研究所)、「柳川堀割りから水を考える」(藤原書店)、「くずかごの唄」Ⅰ~Ⅷ(筑波書林)など著書多数。加藤尚武京大名誉教授は実弟。杉並区出身、土浦市在住。84歳。