【コラム・沼澤篤】話題の映画「洗骨」(照屋年之監督)を鑑賞した。この映画は沖縄の風葬をテーマに、美しい海、家族の絆、心の交流、そして生と死を、リアリズムと感性の平衡を保ちながら描いた名作。ラストでは、厳かな洗骨儀式の最中、参列した臨月の娘が産気づき、浜辺の出産シーンとなった。エンディングで名曲「童神」(わらびがみ)が流れる。見事な生と死の輪廻。

かつてカンヌ映画祭で今村昌平監督がパルムドールを取った「楢山節考」「うなぎ」、さらに米国アカデミー賞外国語映画賞受賞の「おくりびと」(滝田洋二郎監督)、今も世界的に評価が高い名画「東京物語」(小津安二郎監督)を彷彿(ほうふつ)とさせ、日本映画の伝統を受け継ぐ作品といえる。沖縄の人々の原初的で楽天的な笑いと涙が織りなす物語の中に、ユーモアと自然の光景が散りばめられ、どの場面も見逃せない展開に引き込まれた。

葬儀の日、夫にとって愛しい妻、息子と娘にとって大切な母の遺体を木棺に入れ、海辺の横穴墓に納める。4年後に開棺し、骨をきれいに洗い改葬する。美しかった妻(母)が髑髏(どくろ)となって目の前に現れる現実。戸惑いながらも家族はそれを慈しんで受け入れる。現代の沖縄でも、風葬を継承する離島があるという。

かすみがうら市崎浜の横穴古墳群

「霞ケ浦」と関連して連想したのは、かすみがうら市崎浜の横穴古墳群(筑波山地域ジオパークのジオサイト指定)である。この遺跡は約1400年前(古墳時代後期)に成立した。当時内海だった霞ケ浦傍の崖のカキ化石層を横に掘って洞窟(玄室)とし、死者の台座を備えた横穴墓である。

崎浜の地名の通り、当時は横穴墓のすぐ下は海水が寄せる浜であった。人々は近親者の遺体を一定期間、横穴墓に納め、白骨化した遺骸を霞ケ浦の水で洗浄し、改葬したのであろうか。当時は仏教的死生観が浸透していなかった可能性があるが、霞ケ浦は死者が行く彼岸の世界と考えられていたのかもしれない。

夕刻、崎浜から眺める鏡のような湖面は錦に輝き、亡き人をしのぶ心を癒し、静謐(せいひつ)な浄土を想起させたのであろうか。奈良時代に成立した常陸国風土記には、当地は常世国ではないかとの記述がある。

沖縄や奄美には「ニライカナイ信仰」が伝わる。海の彼方にニライカナイ(浄土世界)があり、新しい命はそこから此岸の現世に誕生し、死者は彼岸へ還ると信じられた。信じることで死の悲しみ、生の苦しさが慰められた。

かつて,霞ケ浦でも同様の信仰があり、霞ケ浦を大切にした素朴な人々が暮らしたであろうと想像することは難くない。霞ケ浦の再生にとって、祖先のように、湖を祈りと信仰の対象として眺め、水神、水天宮、弁才天を祭る気持ちを尊重することが、地域社会が目指す方向の一つであろう。科学、技術、経済、効率、政策、合理主義だけでなく、歴史、文化、生命を尊重する平衡感覚が大切なのである。(霞ヶ浦市民協会研究顧問)

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