【コラム・室生勝】前回、看(み)取りは患者の臨終に立ち会う意味と書いたが、厳密に言えば、あと数週間ないし数カ月のうちに死亡すると予期される終末期の患者の心身の苦痛を和らげ、最期までその人の尊厳ある生活を支えることである。
看取りは、往診や訪問診療している医師だけでなく、その人を支えているケアマネジャーはじめ、多職種の連携で行うべきである。例えば、ヘルパーは排泄の介助や身体の清拭(せいしき)を、理学療法士は寝たきりで関節が固まらないようにリハビリを行い、できるだけ苦痛がない生活を持続できるようチームで支える。
医師の役割は、終末期と診断すると同時に、余命や予後(医学的な経過見通し)を家族や関わっている多職種に告げることである。さらに、終末期の症状に家族が動揺しないよう、想定される病状を説明しておくことである。
主治医による「死の準備教育」
私が開業医のとき、余命1~2カ月前から、訪問看護ステーションの看護師と分担して、週1~2回、想定される病状を家族に説明する「死の準備教育」をした。
高齢者の場合、最期に向かってゆっくり衰弱していくことが多いので、家族は死に近づいていることが分かる。経過は人それぞれ違うが、一般に次のような症状が現れることを説明しておく。
自分がどこにいるのか、話しかける人が誰なのか分からなくなり、また眠りがちになる。そのようなときには、相手が誰なのか優しく教え、いつも見慣れている家具を示し、本人の部屋であることを教え安心させる。
眠りがちは意識が薄れた状態のこともあり、反応が鈍くなるが、話かけは続ける。時々目を開けたときは不安げだが、聴き慣れた声で、安心した表情になる。そのような意識障害が度々あると、昏睡状態に進む。
意識障害が進むと、食事も飲水もしなくなるが、無理矢理与えると、誤嚥(ごえん)するのでよくない。口を開けて呼吸していることが多く、口の中や唇が乾燥するので、頻回(ひんかい)に水を含ませた脱脂綿で唇を湿らせる。
血圧は下がり気味で、肌も冷たくなる。しかし、本人は寒さを感じていないので、布団を何枚もかける必要はない。血液の循環が悪くなり、尿量が極端に減り、色も濃くなる。足や臀部のむくみ(浮腫)が現れ、床ずれが出来やすくなる。
呼吸に伴いゼーゼーする音が聴かれ、苦しそうに見えるが、本人は意識障害があり苦しさを感じていない。意味不明なことを言ったり、呼吸が不規則になったり、声かけにも反応しなくなる。顎を上下させる苦しそうな呼吸が5~10秒ほど止るようになると臨終が近い。しかし、本人は昏睡のため苦しさを感じていない。
家族だけで看取れるよう指導
臨終近くなれば医師のする仕事はなく、私は、訪問看護師に家族とともに看取りをお願いした。医師も看護師も臨終に間に合わないこともあるので、家族だけで看取れるように指導した。
1976年5月から14年7カ月間に在宅で死亡した118人の患者について検討したことがある。深夜に亡くなった23人のうち、15人(65.2%)の臨終に私は立ち会っていない。家族だけが立ち会った。介護保険制度がなく、訪問看護ステーションもない時代に、主治医の「死の準備教育」で深夜の看取りを家族だけでできた。医師は深夜の臨終に立ち会わなくてもよく、死亡確認を数時間内に行えばよいと考えている。(医師、高齢者サロン主宰)
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