【崎山勝功】東日本大震災から丸8年を迎えた11日、つくば市周辺で避難生活を送っている福島県双葉町からの被災者が、同市並木3丁目の国家公務員宿舎前で慰霊祭を開いた。被災者に加え筑波大生らが参列、約20人が双葉町の方向に向かい犠牲者への黙とうを捧げた。
双葉町出身の中村希雄さん(77)方の庭先には祭壇が設けられ、参列者たちが一人ずつ線香を上げ、祭壇前で犠牲者の冥福を祈った。黙とうを終えた参列者たちは、時代劇「水戸黄門」の主題歌「ああ人生に涙あり」を合唱した。
慰霊祭で、中村さんは今までお世話になった人たちに感謝を述べた上で、「私たちのモットーは一日一日を楽しく明るく、ケガをしないで病気にならないで生きていこうということ」と語った。中村さんは11年10月から同市並木の公務員宿舎で避難生活を送り、震災から1年後の12年3月から毎月11日の月命日に宿舎の庭先で慰霊祭を開いた。17年3月までは毎月行われていたが、18年からは年1回開催となり、今回が63回目の慰霊祭だった。
当初は双葉町出身者のみで開く予定だったが、市内で避難者向けの体操教室を開く筑波大の長谷川聖修(きよなお)教授の勧めで、同大の学生たちも参列。長谷川教授は「学生たちは全国から来るので、震災のことをほとんど知らない。またはメディアを通じてしか知らない。直接に避難している人から話を聞くのは大事」という。
学生たちは、避難者たちと体操教室とグラウンドゴルフで交流を深めており、同大大学院1年の松浦稜さん(23)=福岡県出身=は「名前で呼んでくれて家族みたいに接してもらっている」と話した。つくば市東岡の竹前久江さん(74)は「福島の人たちと体操教室を通じて友だちになった。最初はおとなしいと思ったけど、いろいろと話をしてくれる」という。
中村さんの妻の富美子さん(77)は「ここ(つくば)はみんないい人ばかりで助けられてきた。福島県内の避難先では嫌がらせがあったと聞くけど、つくばではなかった。とてもありがたい」と市民に感謝した。富美子さんの今の気がかりは、公務員宿舎に住める期限が19年度末までとなっていること。「できれば期限を延ばしてほしい。今まで交流している人とのつながりがなくなるし、双葉町には帰れない」と訴えた。
並木の公務員住宅にはピーク時で48世帯が住んでいたが、2020年3月末で応急仮設住宅の供与期間が切れることから、入居者たちの多くがつくば市や周辺地域など各地に転居しており、現在は十数世帯程度が生活しているという。
◆避難者の厳しい現状
慰霊祭では、双葉町出身者たちから厳しい現状が聞かれた。同町出身でつくば市内在住の主婦(62)は「隣近所とはお付き合いがあるけど『双葉町』とは言っていない。水戸市に引っ越した人で『双葉町』を隠して住んでいる人もいる」と明かした。主婦は震災前はホテル関係の仕事をしていたが「仕事は見つからない。どこも若い人を採用する」と嘆く。その上で「津波とかのテレビ(映像)を見るたびに心が揺れるというか、めまいがする。経験したものでないと分からない」という。
現在も公務員宿舎で生活する同町出身の主婦(60)は夫(61)と2人暮らし。「つくばはいいところ。病院とかバスが充実している。バスで駅まで行けるし電車もある」としながらも、主婦は「両方とも60歳を過ぎているので仕事がない」と明かす。取手市内には娘夫婦と2人の孫がいて、孫との暮らしに惹かれてはいるが、娘夫婦の生活との兼ね合いもあり、引っ越しを決めかねているという。