【ノベル・広田文世】
灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼 我(わが)ひめ歌の限りきかせむ(橘曙覧「春明艸」)とて。
友との盟約を優先し、長州藩邸を抜け出し脱藩してきた吉田大次郎(後に松陰と号す)は、逃避行の2日目、水戸への幹線水戸街道を避け我孫子から左折、現在の千葉県側を進み、船戸で利根川を渡り常陸国へ向かった。その日は、水海道に宿泊。
翌日は脱藩逃避行3日目、水海道の宿を出ると、前方に屹立(きつりつ)する筑波山が、いやがうえにも目に入る。大次郎、好奇心をゆさぶられる。登ってみたい。登ってみよう。歩きだした。
3日目の行程を、松陰自身が後に記した旅行記「東北遊日記」で追ってみる。
「十六日(三日目) 晴れ。駅(水海道)を出(い)でて行くこと少許(すこしばかり)、右折して田間の小路に入り、舟もて小貝川を済(わた)る。是(こ)れを四手の渡しと為す。川は源を小栗に発し、土田井に至りて刀根川(とねがわ)に入ると云(い)ふ。豊田駅に出で、又右折して松間の小路に入り、大砂・田中の諸村を経て北条駅に出づ。是れ土浦候の領する所なり。筑波の半腹に登れば駅あり、ここに宿す。筑波は山名、亦(また)以(も)って駅に名づけ郡に名づく。常陸国に属す」
筑波宿へ入るまでの描写は、地名の羅列ばかりで味気ない。それを懇切丁寧に列記開陳せずにはいられないところは松陰流。
そして大次郎は、筑波宿に泊まる。「ここに宿す」と、本人が明記した。
当時の筑波宿。有名な神社仏閣の門前町によくある精進落としの旅籠(はたご)が軒をつらねていた。つくば道(北条から筑波山神社へ登る古来の登山本道)の神社手前に現在でも、それらしい建物の面影が残っている。飯盛女が、参拝帰りの客を手招きしたであろう旅籠。
「お武家さま、お上がりくださいよ」
日記にほとばしる欣快の情
さて大次郎、飯盛女を置く店と知って上がったか、はたまた何もない一夜を漫然と過したか。こればかりは、筑波山に古代より棲(す)みつき、下界を見下ろしつづけてきた鬼や神々のみぞ知る謎である。大次郎に具体的記述は、ない。
ただ、筑波宿に泊まった翌日の日記は、前日までの地名羅列集とは一味違う欣快(きんかい)の情がほとばしる。
「十七日(四日目) 晴れ。駅(筑波宿)を出で、筑波の二嶺を極む。一を男体と曰(い)ひ、一を女体と曰ふ。是の日天気晴朗、眺望特に宜しく、関東八州の形勢、歴々として指すべし。…、筑波は自ら富刀(富士山と利根川)の偶(なかま)あり。…」
この晴れやかさは、どこからあふれてくるのか。追われる身をさておき、あるいは昨夜の宿の秘め事が思い出されたか、生涯不犯と伝えられる松陰の、筑波宿での一夜の謎。
さて筑波山は、男体山、女体山をふくめ、山域全体が筑波山神社というめずらしい山。イザナギ・イザナミの二柱を祭る男女和合の山であり神社である。故事に詳しい大次郎が、その由来を知らぬはずは、ない。(作家)
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