【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのように綴りたいと思っています。

初夏の穏やかな日和の午後、ボクは仕事で、京都の西陣会館を訪ねていた。それはずっと前の昭和のころ、だったと思う。ボクも若かった。

ロビーで休んでいると、ひとりの守衛さんが声をかけてこられた。どちらから、と問うので、土浦からと答えると、驚いたように、でも笑顔をいっぱいに見せてくれた。

その方の話によると、その方には何百回も読んで心に生きている本がある。毎年、年末には必ず読み返す。その本の舞台が、土浦なのだと言う。

「川口(今の川口町)の川沿いには旅館がありましてね。二階の窓から何々が見えました。大津の里(今の上大津)は、どうなってますか」

守衛さんは熱心に話されたが、ボクは、適当に受け答えしていた。そんな本もあったのだろう。どんな本か、必要なら土浦で誰かに訊(き)けばいい、そんな気持ちだった。書名だけは覚えておいた。

京都から土浦に戻り、折りにふれ、その本「ふたりみなしご」のことを訊いた。だが、だれも知らない。調べに調べて、作者は明治の流行作家小杉天外とわかった。本を読むどころか、内容については、皆目判らずだった。

「今でも読み続けているんですよ」

どうにも気になって仕方なかったボクは、その後、何年も過ぎてから、再び西陣会館を訪ねた。あの時の守衛さんは、とうの昔に退職されていたが、会館の方々は熱心に探してくれ、この人池田滋彦さんではないかと、突き止めてくれた。

相国寺近くの木立を背景にしたお宅で、池田さんにお会いした。だいぶご高齢になられた池田さんは、やっと床から出て来られて、一冊の、何百回と読んでボロボロになった本「ふたりみなしご」を見せてくれた。

「今でも読み続けているんですよ。未だに、ワクワクするんですなあ」と。そして、もう弱ってしまったから行くことは出来ませんが、と言いながら、本の中で知った土浦の町の話を、懐かしそうにするのだった。

「ふたりみなしご」は、遺児となった姉弟が、遺産をめぐる人々に翻弄されながら土浦の町で生きる、いわばサスペンス小説。明治の人々は、どれほど夢中になって読んだのだろうか。

池田さんは、この本はあなたがお持ちください、とその本を差し出された。ボクは、託されたような気がして断れず、「ふたりみなしご」を持ち帰った。「ふたりみなしご」の主人公は、ボクと同じ名前だった。(写真家)

▼「ふたりみなしご」(小杉天外著、金港堂書店、1903年発行) 現在、近代書誌・近代画像データベース(school.nijl.ac.jp/kindai/YMNK/YMNK-00115#1)で読むことができます。

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