【コラム・大島愼子】私がドイツの航空会社に勤務して学んだ異文化対応は多々ある。当初は客室乗務員であり、香港からバンコクまで乗務した便はその先のニューデリーで墜落した。1973年12月のことで、当時は日本から欧州へは、北回り、南回り、モスクワ経由と3ルートあった。航空機の航続距離の問題や中国上空のルートが開拓されておらず、日本と欧州を結ぶ直行便は存在していない時代である。また、この時は、ニューデリー空港は設計ミスで風向きで砂塵が舞うため、滑走路が見えにくく、日本航空も前年に事故を起こしている。もちろん同空港は改善されて、今は全く問題ない。
飛行機が墜落したという噂はバンコクのホテルで入手でき、乗務員のローテーションで2日後にはニューデリーに到着した。航空会社は、事故があってもスケジュール便は運航を継続するのである。事故機の機長は病院に運ばれたが、ドイツで一緒に生活していたパートナーの客室乗務員は乗務で香港にいた。すると、本社の運航本部は彼女の乗務を解き、ドイツから代替要員を香港に送り、彼女を他社便でニューデリーに送り、病院で機長の介護に従事させたのである。
客室乗務員の仕事上は、代わりの要員が手配できれば乗客へのサービスは何も問題ない。 運航本部の判断は、事故機の機長のケアを優先することであった。日本人である私は、その対応を聞き、公私混同だと違和感を持った。また、これが日本の航空会社で、例えば羽田で事故を起こした機長の看病に、パートナーの客室乗務員が大阪から乗務をキャンセルして駆けつけたら、日本のメデイアは何と報じるか、「客をそっちのけで公私混同とか、”同棲の相手が駆けつける”などの見出しで、スキャンダラスに報道されるのではないか」と思った。
40年経った現在でも、日本の航空会社はこのような措置はとらないのではないか、と考える。ところが当時のドイツでは、従業員のケアも乗客と同じく重要という考え方に、批判は全く起きなかった。
事故の際に広報担当者の仕事は?
似たような「目から鱗(うろこ)」は、その後、広報担当者になってからも経験した。1985年の日本航空御巣鷹山事故である。当時NHKは、搭乗客名簿を延々と流し、キャスターの木村太郎氏は「報道の使命と義務として、乗客の氏名を伝える」と述べていた。その直後に、本社で70カ国からの世界規模の広報会議があり、危機管理がテーマであった。
「事故の際に広報担当者の仕事は?」と質問があったので、私はよせばいいのに「搭乗客名簿の公開」と回答した。自分はNHKから最新の情報を得たと自信があった。ところが、会場内には大ブーイングが起きた。日本以外の国は個人情報保護法があり、顧客情報は個人の了承を得ずに一方的に外部に出してはいけなかったのである。天下のNHKが、犠牲者氏名の公開が報道の使命だ、義務だ、というのは日本だけの常識であった。
グローバル時代というが、広い世界の考え方は一朝一夕には理解できない。日本人は偏屈だと言われないように、視野を広くすることである。(筑波学院大学 学長)