早大政経・土屋ゼミ・インタビュー11

 住宅ローン専門会社

斉藤:経済部長時代はどんなことが。

坂本:経済部デスクを3年、証券部長を2年やったあと、経済部長になりました。バブル崩壊後の時期で、金融機関の危機が進行していたころです。

でも、部長のときは、銀行の倒産は出ませんでした。経営の破綻で早かったのは、北海道拓殖銀行です。その後バタバタ行きましたけれど、部長のころは、信用金庫の危機はありましたが、大物金融機関の危機は表面化しておりませんでした。

部長時代の一番のテーマは、個人向け住宅ローンの専門会社―住専と言っていました―が倒産したことでした。住専は銀行が設立したノンバンクです。親銀行のダミーとして、高い金利で住宅ローンを貸していましたが、バブルの崩壊で次々倒れました。金融危機の助走期です。

銀行破綻が表面化したのは、経済部長のあと、整理部長―各部から出稿される記事を最終チェックするセクション―をしていたころです。この時期に、いくつかの銀行や証券が行き詰まりました。

経営危機絡みの記事

今では信じられないけれど、私が経済部長のころ、新聞やテレビの金融機関危機に関する報道は慎重でした。あの銀行の経営が危ないと報道されると、本当に潰れてしまうからです。危ないと書かれると、預金者は下ろしに走り、取り付け騒ぎになる。報道で預金が逃げると、何とか持ちこたえてきた銀行も潰れます。

ですから、どの新聞も銀行のネガティブな記事を出すことには慎重でした。自動車や家電のマイナス記事とは決定的に違います。東京の信金の経営危機が進行していたとき、それを書くかどうか各社悩みました。破綻の引き金を引くリスクは避けたいですからね。

ところが、金融機関の経営不安が常態化し、危機が表面化した90年後半には、あの銀行が危ない、この銀行が危ない、といった記事が争うように出るようになりました。銀行も普通の会社と同じと、報道側にも読者側にも免疫ができたのが大きいと思います。(笑)

三菱銀と東京銀の合併

藤本:三菱銀行と東京銀行の合併はどうでしたか。

坂本:それは時事が抜きました。日経と同着でしたが、新聞協会賞は日経に行きました。というのは、新聞社と新聞社なら対等の立場でどちらが勝ちか審査できますが、通信社は新聞社に記事を売るのが商売なので、通信社と新聞社が賞の判定を競うのは難しい。

時事は、うちの特ダネである証拠を揃え、新聞協会に出しましたが、結局、協会賞は日経に行きました。そのとき、私は経済部を離れ、整理部でしたが、何とか賞を取れないか、いろいろ画策しました。

でも、社内的には、同着だったという評価が定着しています。協会賞は日経に持っていかれましたから、担当記者たちは大いに不満でしたが、決めるのは協会だから仕方ありません。社内的には、時事のスクープという位置付けになっています。名誉のために言っておきます。(笑)

通信社と新聞社は、ニュースコンテンツの卸業=通信社と小売業=新聞社の関係です。別の言い方をすると、新聞社は通信社の顧客ということになります。新聞社はお客様ですから、賞などの争いになると、どうしても立場が弱い。裏話みたいな話になりましたが、こういう理屈で納得させているわけです。(笑)

しかし、記者は、業界の構造に関係なく、取材の現場では競争しているわけですから、なかなか怒りが収まらない。現場からの突き上げで管理職は大変でした。(続く)

(インタビュー主担当:藤本耕輔 副担当:齋藤周也、日時:2015年12月4日、場所:東京都新宿区・早稲田キャンパス)

【NEWSつくば理事長・坂本栄】