「政治の世界は、一寸先は闇」という随分前に聞いた言葉を思い出している。「解散はこの時しかない」と満を持して安倍首相は9月28日に国会を冒頭解散した。これに対して小池東京都知事は乾坤一擲(けんこんいってき)、民進党をメルトダウンさせ、希望の党を作り、10日告示の選挙戦に臨む。執筆時点では情勢がどう変わっていくのか見通せない。このことについては、いずれコメントすることにするとして、先の茨城県知事選挙を振り返ってみたい。
茨城には新潟のような風は吹かなかった。8月26日投開票の茨城県知事選挙は自民、公明両党が推薦した大井川和彦氏が、7選を目指した橋本昌氏、東海第2原発の再稼働阻止を旗印にした鶴田真子美氏を破り、当選した。
私は、日本原電東海第2発電所の再稼働問題が選挙の争点になると考えていた。しかし、選挙の結果とその後の新聞各紙の検証記事を見ると、どうやら原発問題は主要な争点にはならなかったようだ。
自民党は3月に大井川氏を推薦し、橋本氏は4月に出馬表明した。この時点では、保守同士の一騎打ち、7選の是非が問われる、というのが一般の見方だった。2人とも原発を争点だとは考えていなかった。
原発問題が争点に浮上したのは、鶴田氏が6月末に出馬表明してから。彼女は「原発の再稼働を止めて、あらゆるいのちを守ることが日本の未来にとって大切なこと」と訴えた。
当初は知名度が勝る橋本氏が優位だと見られていた。潮目が変わったのは7月半ばに公明党が大井川氏の推薦を決めたことだった。それより前の7月上旬、東京都議選で公明党が都民ファーストの会の候補を支援したため、自民党が歴史的大敗を喫した。これでこじれた両党の関係修復を狙ったのが茨城県知事選で、菅官房長官と山口公明党代表が手打ちをした、と伝えられている。TBSの報道では、その時点で橋本氏が4 ポイント大井川氏をリードしており、それならひっくり返せるとの判断だったようだ。
県内の公明党支持層は約15 万票。新聞各紙の出口調査ではその8割以上が大井川氏に投票したようなので、決定的だった。まさに「潮目が変わった」のだ。
思い起こせば24年前。竹内藤男知事が汚職で逮捕され、直後の知事選で橋本氏の出馬が首相官邸で決まったことと構図が全く同じ、と私には見える。茨城では、岩上二郎氏以外はすべて中央官庁出身の官僚しか知事になっていない。そこから見えるのは、茨城は国の直轄地ないしは植民地、ということだ。「橋本、お前いつまで知事の座にしがみついてんだ。あとがつかえてるんだ。早くどけ」と言わんばかりだ。岸田党政調会長、小泉副幹事長、野田総務大臣らが続々と県内に入り、安倍政権は総力を挙げて大井川氏にてこ入れした。
橋本陣営は、「官邸介入、中央との対決」を叫んでいたようだが、橋本氏は24年前がどうだったのかを忘れているのではないか。選挙後に群馬の友人とその話をしたら、「群馬では県知事が中央の天下りなんてことはないよ」と言っていた。
総理大臣を務めた細川護熙氏はかつて熊本県知事だった。『権不十年』(NHK出版)という本を残している。権力は10 年も経つと腐ってしまうという意味だ。これをやろうと決めたことの大体は10年の時間があればできる。細川氏は最初から2期8年で辞めることを決めていたようだ。それにしても橋本氏の24年は長すぎた。(先﨑千尋)
毎月第2、第4月曜日掲載。
【まっさき・ちひろ】1942年茨城県瓜連町(うりづら)生まれ。慶應義塾大経済学部卒。元瓜連町長。茨城大学人文学部市民共創教育研究センター客員研究員、一般財団法人総合科学研究機構特任研究員、環境自治体会議監査役、NPO法人有機農業推進協会顧問。農業。主な著書は『農協のあり方を考える』(日本経済評論社、1982)、『よみがえれ農協』(全国協同出版、1991)など。那珂市在住。