火曜日, 1月 13, 2026
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不要品通じ市民交流 つくばリサイクルマーケット 25年にぎわい続く

【田中めぐみ】つくば市の市民団体「リサイクルを推進する会」(高野正子代表)が年4回、つくば駅近くの市中央公園水の広場で開いている「つくばリサイクルマーケット」が人気だ。次回は11月25日に第107回が開催される。

使用可能なものを捨てずにリサイクルすることを目的として、毎年3月、5月、9月、11月の年4回開いている。多い時には700人の来場者があるという。1994年5月からスタートし今年で25年目を迎える。

震災で意識が変化

1993年、代表である高野さん(73)は、つくば市のごみ焼却施設(当時は第1衛生センター)を見学した際に、まだ使えるものがごみとしてたくさん捨てられているのを見た。もったいないと感じ、何かきっかけがあれば使ってもらえるのではないか、使える物と人とを仲介する場を提供したいと思ったのがきっかけで「リサイクルを推進する会」を立ち上げた。

以来25年間、リサイクルマーケットを運営し、つくば市の人と物の事情を見てきた高野さんだが、2011年3月11日の東日本大震災を契機に、出店者の意識が変化したのを感じるという。「震災以前は、自分の所有物を増やしていくこと、また、今より上の等級の物にグレードアップすることを豊かさと考える人が多かった。しかし震災後は、壊れてしまうからぜいたくな良いものは必要ない、今必要な物を必要な分だけ所有しようという意識に変わり、真剣に出店する人たちが増えたように思う」と話す。

1割を災害義援金に

9月23日は、出店者68人が72区画で出店。好天のもと、およそ500人の来場者でにぎわいを見せた。出品されているのは、衣類や靴、本、未使用のタオルや食器、使わなくなったおもちゃ、雑貨、文房具など様々。リサイクルを目的とするマーケットであるため、食品や植木、生き物、ハンドメイド品などの出品は禁止されている。

マーケットの来場者は、家族連れだけでなく近隣の大学生、外国人も多い。外国や県外から来て知り合いのいない人も、リサイクルマーケットを通じて交流を広げているという。

出店料のうち1割は災害などの義援金に充てている。今回は今年9月6日に発生した北海道胆振(いぶり)東部地震の義援金とするという。また、毎回要らなくなったジーンズ、Tシャツ、鉛筆、消しゴムなどの寄付を募り、集まった物資をフィリピンに支援として届けている。

ボランティアスタッフとして運営を手伝っている筑波学院大学2年の﨑野詢矢さん(20)はこの日初めて出店者として参加した。子どもの頃からファンだという読売ジャイアンツのグッズを中心に出品し、野球ファンたちが興味深そうに足を止め、野球談議に花を咲かせた。

◆次回11月25日(日)のリサイクルマーケットは午前10時から午後2時まで。雨天中止。出店希望者は初回のみ往復はがきでの申し込みが必要。申込締切は11月10日(消印有効)。2回目からは電話またはメールで参加を受け付ける。参加費は1区画(1.8m×1.8m)500円。

主催▽リサイクルを推進する会
http://t-recyclemarket.main.jp/
出店申込の往復はがきの宛先は〒305-0031 つくば市吾妻3-19-1-2-303 高野正子さん
メール▽info@t-recyclemarket.main.jp

初めて出店した筑波学院大学2年の﨑野詢矢さん=同

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映画「倭文-旅するカジの木」を見て《邑から日本を見る》190

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