日曜日, 5月 4, 2025
プロモーション
ホームスポーツ【土浦つくばエリア深堀り高校野球展望'18】1 強力打線で3年ぶり甲子園目指す 常総学院

【土浦つくばエリア深堀り高校野球展望’18】1 強力打線で3年ぶり甲子園目指す 常総学院

【伊達康】7日に第100回全国高校野球選手権茨城大会が開幕する。土浦・つくばエリアは有力校が多数ひしめく。注目校8校を6回にわたって紹介する。

春の県王者・常総学院は12日の2回戦から登場。J:COMスタジアム土浦で佐竹と海洋の勝者を迎え撃つ。史上最強ともいわれる強力打線を武器に第1シードとして3年ぶりの甲子園出場を目指す。

昨秋県準決勝で明秀学園日立に1点差で敗れた悔しさをバネに、冬場のトレーニングで徹底的に打撃を強化して多くの選手の打撃が開眼。レギュラーメンバーの全員が高校通算2桁ホームランを記録している。6月の練習試合では仙台育英や聖光学院など全国レベルの強豪校に競り勝ち好調を維持していたが、6月30日の作新学院戦では5安打完封負けと自慢の打線が振るわず不安を残す結果となった。

打線は力のある選手が並ぶ。上位を打つ主将の二瓶那弥(3年)は春季県大会で4本のホームランを記録した強打者だ。明秀学園日立との決勝では途中出場したエース細川拓也(3年)からダメ押しのホームランを放ち、春の県内チームで唯一、細川から得点を奪った。

同じく上位打者の水野勢十郎(3年)は関東大会で関東学園大附と東海大相模からホームランを放ち15打数9安打と4強入りに大きく貢献した。

3番の斉藤勇人(2年)、4番の藤川寿真(3年)、5番の菊田拡和(2年)の中軸はいずれも180㎝80㎏を超える迫力ある体格の打者が並ぶ。

斉藤は準決勝の日大三戦で特大ホームランを放つなど2戦連発のアーチをかけて躍動した。藤川は変化球への対応力が高い好打者。チャンスに強く追い込まれてからのしぶとい打撃が持ち味だ。菊田はとてつもない飛距離を誇る長距離打者だ。県準々決勝の取手一戦と関東大会準決勝の日大三戦でバックスクリーン弾を放った。その後の練習試合でもホームランを量産している。その他に調子に応じてスタメン起用される大久保龍成(3年)や、代打の切り札・野澤翔(3年)も恵まれた体格から逆方向にホームランを打てる力を持っている。

投手陣はスライダーが武器の谷田部健太(3年)と、剛球とチェンジアップのコンビネーションでねじ伏せる岡田幹太(2年)のいずれも最速140㎞を超える右腕2枚看板を軸に春の大会を勝ち上がった。春の勝ち頭・谷田部は完投するスタミナが十分に備わっており、大会を通じてエースの風格が漂う頼れる存在となった。ただ、最近の練習試合では調子を落としており、谷田部の復調が常総学院優勝の絶対条件だ。下級生の岡田は関東大会準決勝・日大三戦で救援登板も打ち込まれて敗退した経験を糧にさらなる成長が期待される。さらに春はベンチ入りをしていなかったが、最速142㎞を誇る塙雄裕(2年)や試合をつくる能力が高い菊地竜雅(1年)といった下級生投手が練習試合で台頭しており、夏の戦力としてベンチ入りが濃厚だ。

エースの谷田部健太

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




Advertisement
spot_img

最近のコメント

最新記事

軽井沢に藤巻進さんを訪ねて《ふるほんや見聞記》4

【コラム・岡田富朗】藤巻進さんは、1973年に有限会社塩沢遊園(現・軽井沢タリアセン)に入社。85年には軽井沢高原文庫を設立し、理事長に就任。その後、89年に一般社団法人軽井沢青年会議所理事長に就任、95~2007年の間、軽井沢町議会議員を3期務め、07~10年には一般社団法人軽井沢観光協会長を歴任。そして、11~23年の12年間、軽井沢町長を務められました。 今回は、藤巻さんが塩沢遊園に在籍していた時代のお話を伺いました。塩沢湖のある場所は、かつて一面の水田でした。冬になると水田に水を張り、スケートを始めたのがきっかけで、やがて本格的な天然スケートリンクとして整備され、その後現在の塩沢湖の姿となりました。 1971年には塩沢遊園が設立され、冬のスケートだけでなく、1年を通して楽しめる施設へと発展しました。78年には、ジョン・レノンとオノ・ヨーコも来園したというエピソードもあります。85年、軽井沢にゆかりのある文学者たちを中心とした文学館「軽井沢高原文庫」を開館。敷地内には堀辰雄の山荘、有島武郎の別荘、野上弥生子の書斎などを移築・公開しています。 1986年には「塩沢湖レイクランド」をリニューアルオープン。同年、「ペイネ美術館」も開館。この美術館は、建築家アントニン・レーモンドが1933(昭和8)年に建てた「「軽井沢・夏の家」を移築・復元した建物で2023年には国指定重要文化財になりました。 1991年からは10年間にわたり、「タリアセン音楽祭」を開催。1996年には「塩沢湖レイクランド」から「軽井沢タリアセン」へと施設名も改めました。 「タリアセン」という名称は、アントニン・レーモンドの師であるフランク・ロイド・ライトが建設した、設計工房兼共同生活の場の名前に由来しています。ライトのタリアセンは、単なる設計事務所ではなく、「タリアセン・フェローシップ」という建築塾として運営されていました。そこでは、自給自足の共同生活を行いながら、建築教育と実践が行われていました。 名称には、遊園施設としてだけでなく、「来園者の創造力や創作意欲を刺激する場所でありたい」という藤巻さんの思いが感じられます。 深沢紅子 野の花美術館、明治四十四年館 同年には「深沢紅子 野の花美術館」も開館。軽井沢の歴史的遺産のひとつである「明治四十四年館」(旧軽井沢郵便局舎)を移築・復元し、その2階に開館。さらに2008年には、1931(昭和6)年に建築家W.M.ヴォーリズが設計し、フランス文学者・朝吹登水子が別荘として使用していた「睡鳩荘」を移築・復元し、一般公開しています。 最後に藤巻さんは、「未来の軽井沢に、今、私たちが何を残していけるのかを考えることが大切です。かつて軽井沢には多くの文学者が集い、数々の無形文化が生まれました。また、名建築家たちが手がけた別荘も多く存在しています。そうした文化や建築は、残すだけではなく、守り、そして生かしていくことが重要なのです」と語ってくれました。 遊園施設の運営から町の運営を経験された藤巻さん、「すべては、これまで出会ってきた人たちのおかげで、ここまでやってこられた」と語ります。(ブックセンター・キャンパス店主) <参考>町長時代のお話は、4月25日に発売された著書『軽井沢とともに歩んだ12年 時時刻刻~町長が綴った133話』(婦人之友社)でご覧いただけます。

有名な昆虫博士との出会い(1)《看取り医者は見た!》40

【コラム・平野国美】私の患者さんの中には、かつて各分野のトップを走り、現在は引退し、老化のために自宅や施設で療養をされている方がおられます。 毎日数時間、机に向かう文系の方もいます。統計データを自室で読めるため、現役時と環境があまり変わらないのだと思います。今でも専門誌に投稿したり、外国の学術書を翻訳している方もおられます。理系の方では、「動物、鉱石、虫、草木と会話できるのではないか」と思われる方もいます。 初診の際には事前に患者さんのことを調べます。病状だけでなく、人生史も把握するようにしています。米国では「あなたの全てを教えてください」と伝えてから初診すると聞いたことがあります。相手やご家族の気質まで把握することも大切です。 1匹のオケラにジャンプ 今回紹介する患者さんは、農学系の方であることはわかっておりました。部屋には昆虫標本こそないのですが、写真や自著が置かれていました。家に戻りアマゾンで調べると、児童や一般人向けの著書が何冊か出ていました。2冊を購入して読むと、独特のウイットがあり、虫好きでない私も昆虫の世界に入れる本です。 父親も蚕種(さんしゅ)系の学者で、内外で活躍された方です。この昆虫博士が虫と出合ったのは疎開先の信州松本でした。家の玄関先を走っていく物体を見つけた瞬間、誰かに体を押されたように地面にジャンプ、1匹のオケラをつかんだそうです。 その瞬間、虫に夢中になり、その世界に入ったとのことです。父親は物理や医学を勧めたのですが、昆虫以外に興味がなかったようです。父親を説得して昆虫研究を支援したのは母君でした。そして、彼は日本を代表する昆虫学者になりました。 診察の際、昆虫ネタを仕入れて診察前に話し掛けました。「いやあ、あなたみたいに虫に詳しい方に会うのは、定年になって以来久しぶりだ。2階に海外で集めた標本があるので、酒でも飲みながら話しましょう」と、声を掛けていただきました。 しかし、「私、残念ながら下戸なんです」と答えると、「では、お茶でも飲みながら」と。私は虫嫌いだと言うと、不思議そうな顔をしていました。私は「こんなに昆虫に傾倒する方がおられるのが面白くて、ここにいるのです」と話し、その日は終わりました。(訪問診療医師)

来春からジェンダーレスに統一 ランドセル贈呈50年機に 土浦市

土浦市は1976年から毎年、市立小学校と義務教育学校に入学する新1年生に、入学祝い品としてランドセルを無料で贈呈している。来年で50年の節目を迎えるのを機に、来春の新1年生から性別に関係なく、性別によるイメージを連想させにくいジェンダーレスの薄い茶色に統一する。 同市では2020年度まで、赤いランドセルを女子、黒を男子に贈呈していた。保護者から「こういうご時世で赤が女子、黒が男子はおかしい」などの声が出て、21年度から好きな色を選べる選択制に変更した。22年度からは黄色のリュックサックを加え、赤と黒のランドセルと、黄色のリュックサックの3色から選んでもらっていた。今年度は新1年生838人のうち、赤を選んだ児童は421人、黒は417人、黄色は8人だった。このうち赤を選んだ男子は4人、黒を選んだ女子は4人だったという。 事業の継続性を考え1色に 昨年、市内の小学6年生約1100人と保護者代表約30人にアンケート調査を実施し選定した。薄い茶色、濃い茶色、紺色、キャメルの4色の中から選んでもらったところ、小学6年生は薄い茶色、保護者はキャメルが一番人気だった。明るい色の方が目立ちやすいなど登下校時の安全性を考慮し、市教育委員会が薄い茶色を選んだ。複数の色の中から選択できる方法も検討したが、事業の継続性を考え、1色に統一したという。 合わせて機能面を強化しリニューアルする。夏の暑さ対策として背あてにメッシュ素材のクッションを追加したり、授業で使用するパソコンのタブレット端末を家に持ち帰って学習できるよう収納スペースを確保したり、ランドセルの名前入れを、蓋部分の「かぶせ」の内側に移動させて外から児童の名前が見えないよう防犯対策などをする。リュックサックは機能強化が難しいことから廃止する。 素材は人工皮革で、重さは約1100グラム、A4の教科書やタブレット端末が入る大きさ。土浦鞄商組合に製造を委託する。来春は16校に入学予定の約860人に贈る予定だ。ランドセル1個当たりの価格は約1万3000円程度。予算は総額で1159万8000円程度を想定している。価格は材料費や人件費の高騰のほか、機能面を強化するなどから、前年度より25%上昇する見込みだ。 贈呈事業は、家庭の経済的負担軽減を図ることが目的。贈呈するランドセルは指定ではなく、市販のランドセルやリュックサックを使ってもいいが、ほとんどの児童は贈呈されたランドセルを使っているという。 同市によると、県内では44市町村のうち16市町村が新1年生にランドセルを贈呈している。色をジェンダーレス1色に統一するのは鹿嶋、笠間、高萩、日立市に続いて県内で5市目になる。(鈴木宏子)

お好み焼きとジャガイモ、それからビール① 《ことばのおはなし》81

【コラム・山口絹記】「来週空いてる? 日本に行くんだけど」。彼女からの誘いはいつも突然だ。まぁ、彼女からのお誘いとあれば無理にでも予定を空けるので、あまり関係はないのだが。 彼女というのは、63「わたしたちのことばのおはなし」(23年11月4日掲載)に登場した台湾人の旧友である。あちらのことばでいうところの“朋友”だ。今回は私に是非会ってみたいと言ってくれているドイツ人の旦那さんも一緒である。 関東のお好み焼きが食べたいという彼女の希望で、大雨の中、自己紹介と近況報告をしながら、スマホで適当なお店を検索する(旦那さんには申し訳ないが、私と彼女の会合はいつも行き当たりばったりなのである)。 席について店員さんが注文を聞きにくると、彼女が目くばせをしてきた。そうだったそうだったと私が事前の打ち合わせを思い出して黙ると、彼女が「とりあえず生で!」と日本語で元気よく注文を伝える。 「かしこまりましたー!」と言いながら去っていく店員さんを見送りながら、3人で笑い合う。彼女は日本語を勉強中なのだ。言語学習は実戦に限る。いくつになっても、この手のやり取りは楽しいものだ。私も台湾に滞在していたときは、何度も教えられたフレーズを使わされたものだ。 独語、日本語、英語で乾杯 運ばれてきたビールを片手に、私はドイツ語で、彼女は日本語で、旦那さんは英語で「乾杯!」とジョッキをぶつけ合った。日本に交換留学した経験があるので少し日本語が話せる旦那さんと、ドイツ語を勉強中の私、日本語を勉強中の彼女というメンバーなので、使用言語はあべこべだ。すばらしいことである。 生まれ育った国も使う言語も関係ない、それぞれの歴史を背負う必要のないこういう空間が、私にとっては一番居心地がよいのだ(言語研究者)