土曜日, 10月 10, 2026
ホームコラム金星と木星《短いおはなし》55

金星と木星《短いおはなし》55

【ノベル・伊東葎花】

「明日から視察に行ってくる」

「まあ、今度はどちらの星?」

「金星と木星だ」

「あらまあ、遠くまで大変ね。確か太陽系の方じゃなかったかしら」

「そうだ。未知の星だが、きっと豊富な資源と生命体がいると信じでいる」

「ふうん。気を付けてね」

太陽系は非常に遠い。何度かワープをしなければならない。
機体にも身体にも大きなダメージを受けるから、誰も行きたがらない。
しかし、このままでは我が星はやがて滅びる。
生活燃料となる、新たな資源を手に入れなければならないのだ。

私はひとり、宇宙船に乗り込んだ。
数回のワープと軌道修正を行いながら未知の星へと進んでいった。
AIが安全と判断した星で休憩を取りながら、数日かけて太陽系に入った。
しかし困ったことが起きた。
太陽系に入った途端、AIが全く機能しなくなった。
これでは金星と木星がどの星なのか、さっぱりわからない。

目の前に、青い美しい星が現れた。

「これか? いかにも生命体がいそうな星だ」

私は、とりあえず青い星に降りてみることにした。
陸地に機体を止めて、恐る恐る降りると、なんとも美しい星だ。酸素も豊富だ。
歩いてみると、生命体がいた。
二足歩行だ。推定80歳、性別は女と見た。

私は瞬時にその女の頭脳を読み取り、この星の言語を理解した。

「すみません」

「あん? 何の用だ?」

「ここは、金星? 木星? どっち?」

「あんた。外国人か? インバウンドってやつだべか。こんな田舎になんの用だ」

「だから、ここは、金星? 木星?」

「あん? きんせい、もくせい? ああ、キンモクセイか。こっちさ来い」

女が歩き出した。推定80歳のわりに、足が速い。

「これだべ、キンモクセイ」

ずらりと、大きな植物が並んでいる。これが金星と木星?
こんなに小さいのか? いや、もしかしたら、宇宙変動が起きてバラバラになり、この星に吸収されたのかもしれない。それとも、故意に爆発させたのか。
オレンジ色の粒々が、爆発の威力を物語っている。きっと爆発により金星と木星が一体になってしまったのだ。
この星は、思ったよりも恐ろしいかもしれない。

「どうだ。いい匂いすっぺ? おらのキンモクセイ」

女が自慢げに言った。金星と木星は、この女の所有物なのか?
それにしても、なんて甘美な香りだろう。

「分けてやっか?」

「えっ?」

「キンモクセイ、分けてやるから待ってろ」

女は庭から、鉢に入った小さな植物を持ってきた。

「これ庭に埋めてみな。毎年咲くから」

私は、震える手で金星と木星を受け取った。

「じゃあね。何もねえ村だけど、観光楽しんでくろ」

私は、小さな金星と木星を持って、宇宙船に乗り込んだ。
ワープと軌道修正を繰り返し、我が星へ向かった。
優しい甘美な香りが機内に充満して、帰りの操縦は何とリラックスできたことか。
ああ、とても気分がいい。
これはもしかしたら、素晴らしい資源になるかもしれない。
見知らぬ星の女、恐るべし。

(作家)                                 

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