月曜日, 10月 12, 2026
ホームコラム教師に必要な「臨床知」《竹林亭日乗》40

教師に必要な「臨床知」《竹林亭日乗》40

【コラム・片岡英明】教師の基礎力とは何だろうか。日常的な現場から自分の頭で考え、指導を組み立てる力量である。教育は教師が授業やHR(ホームルーム)で指導方針を持つことから始まる。

すると、職員室では二つの流れが生まれる。一つは、教師が方針を持った指導の中で生まれる思いがけない事態にも、「そうきたか」と柔軟に対応できる教師。もう一つは指導方針を持ったため、かえって予想外の事態が見え、計画通りに進めようとイライラする教師である。

指導方針を持つ教師のこの違いはどこから生まれるのか、長い間の疑問であったが、その違いがいわゆる教師の「臨床知」への姿勢に由来すると分かった。

授業の指導方針が立てられず、ヒット1本を求めて暗中模索の段階の実践をステップ1、方針を持った実践をステップ2、授業の方針を持った教師が出会う予想外の困難な場面の指導をステップ3―とする。

今までは、ステップ3の実践は臨機応変で柔軟な指導力の問題だと一般化して考えてきたが、最近その指導の構えのヒントとなる本に出会った。今回はその内容を紹介し、教師の応援のためステップ3の指導について考えたい。

臨床思考の問題解決

「東京大学で考える臨床思考の問題解決」(須藤修監修、ダイヤモンド社、2026年2月発行)を読んで、指導方針を持った教員の現場で出会う課題は、この本で取り上げた臨床知が必要な場面であると感じた。

本書は、最近のマルチモーダル(多様な情報を処理できる)AIが、人間の創造性にからむレベルに達しているという、最先端の研究者の危機感から生まれた。AIに覆われている現在の人間に必要な第2の知性を、個性的な講演者の創造性から学び取るという発想で、各分野の最先端の11人の講演と討論の報告書である。

姜尚中氏の「臨床の知の可能性と向き合うべき課題」や、盲ろうの大学教授福島智氏の「格差・教養・多様性をめぐるアンコンシャス・バイアスを考える」など、いくつかの分野を極めている方が、その先端部分を語り、現代に必要な臨床知を検討した。

その講演と討論内容は驚くことに、AIの広がりで生まれた人間社会の危機感を、AIについては何も語らず、第一線の学者・芸術家・宗教家などの、極めて人間臭い一人ひとりの体験から臨床知を探った。この点で一読の価値がある。

勘と経験知では限界

授業で指導案を持った教師が出会う予想外の事態への対応力は、今までは臨機応変で柔軟な指導力という一般的な経験知の問題とされてきた。しかし、経験知では現在の多発している教師が抱える予想外の事態には対応できない。

これは勘と経験だけでなく、研究的な場面である。まず、直面した困難な事態が臨床知を深める場面であるとテーマ化し、ステップ3の実践を記録してほしい。そこから教師が臨床知を学び取ってほしい。この臨床知を教師の学びのテーマに設定すれば、教師は自分の出会う授業やHRだけでなく、学年や魅力ある学校づくりにも、この視点を生かすことができると考える。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho





spot_img

最新記事

33年間も付き合ったハイエース《鳥撮り三昧》18

【コラム・海老原信一】2026年9月2日、車との32年と9カ月の付き合いに終止符を打つ日がやってきた。家族とのキャンプやスキー、野鳥を求めての野宿旅、普通の人なら入らないような所へと入り込んでは、あちらをこすり…、気が付けば「身体」はボロボロになっていた。 文句ひとつ言うでもなく、1993年11月5日登録のハイエースは40万7000キロも走り続けてくれた。8月30日、「もうこれでお終わりにしたい」と言われたような故障が発生。何とかならないかと思案したが、そう理解した。恥ずかしい話だが、涙があふれた。 長過ぎた付き合いだった。いろんな思いが詰まってしまっていた。それは家族との思い出であり、自身の生きてきた時間そのものだから。代わりの「相方」が必要なので、前車と同様に頑張ってくれる車種を探すが、価格高騰がネックとなっている。野鳥を求める旅には支障があるけれど、しばらくは悩み続けよう。 鳥たちと毛虫 9月下旬から10月中旬にかけて、桜が植えられている場所で、葉が色付き、落ち始めるとカッコウの仲間が姿を見せる。これまでの観察経験ではツツドリの幼鳥が多い。旅の途中、栄養補給のため桜に着く毛虫を求めて来るのだ。 毛虫は人には嫌われる存在だが、鳥たちには大事な食料。とはいえ、くちばしに毛虫をくわえているのを見ると、「それを食べるんかい」との思う。自分が口にしているのを想像してしまうからなのかもしれない。それでも、毛虫を食べる人もいるようで、その人の書いたものを読んだ記憶がある。 かの鳥たちは桜の葉が無くなるころにはいなくなるが、一体どのくらいの毛虫を食するのだろう。彼らが食べることで桜が守られることもある。そう考えると、他の命を支えるという相互の関係が思われる。世の中はそんな関係で成り立ってるのかもと思う。(写真家)

抗がん剤治療が効き10カ月《ハチドリ暮らし》66

【コラム・山口京子】「死に時に あらがいつつも 迷いつつ…」。今の自分の心持ちです。昨年12月にがんと告知され、医師に「治療をしなければ余命8カ月。治療して功を奏した場合は2年半」と言われました。月に2回入院して、抗がん剤治療が効き、10カ月が過ぎました。 そうした中、良寛さんの言葉を思い出しました。1828年、良寛さんが71歳のとき、新潟で大地震が起きました。被災し、子どもを亡くした知人に宛て「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」と。色身と法身を一身に生きた良寛さんならではの言葉だったのでしょう。 昨今の天災は人災の要素が高まっています。医療技術が進み、かっては助からない命が助かるようになった時代に生き、自分は死に時をどう考えるのか…。末期がんとどう向き合うのか…。 国民皆保険制度で、受けられる治療であれば受けてみる。高額になる自由診療は見合わせる。自分でできる食事・運動や生活改善はやってみる。手の届く代替治療やサプリメントは可能な範囲で利用する。こうして過ごしてきました。 抗がん剤治療で時間を稼いで、できるならがんの進行を遅らせ、がんを小さくし、その間に、体力・体調・体重をキープし、自分の免疫力や自然治癒力を高め、標準治療に頼らないで、がんと共存できたらという願いがあります。 どんな物語を紡ぐのか そう願う一方、抗がん剤を止めたらがんが増殖するのではないか、抗がん剤が効いて手術ができるようになったのに手術をしないのはどうかと、迷っている自分がいます。 自分の心身は自分の支えでもあり、制約でもあるのでしょう。制約を取り払うことができるなら、何が見えてくるでしょう。人が生きていくに当たって、物語と意味は不可欠なものかもしれません。どんな物語を紡ぐのか、何にどういう意味を込めるのか。 自分の自分と、他人の自分、たくさんの他人の自分で構成される社会で、平和に暮らすすべとは、いかなるものなのでしょうか?(消費生活アドバイザー)

駅名板やヘッドマークなどお宝40点 土浦まちかど蔵で「筑波鉄道展」

1987年に廃線になった筑波鉄道の歴史と、現在の自転車道「つくば霞ケ浦りんりんロード」のつながりを紹介する「筑波鉄道展」が9日から、土浦市中央の観光拠点、土浦まちかど蔵「大徳」で開かれている。駅名板、ヘッドマーク、切符などお宝約40点が展示されている。 鉄道愛好家でもある土浦市観光協会の浅川善信さんが、筑波鉄道を運行していた関東鉄道の倉庫に眠る鉄道資料の中から、選りすぐって展示した。関東鉄道、JR土浦駅などの協力を得て同市観光協会が主催する。 展示されている駅名板は、筑波山観光の玄関口として当時、観光客でにぎわった「筑波駅」(つくば市沼田)と、旧新治村の「常陸藤沢駅」の2点。 ヘッドマークは、臨時列車「つくば」、急行「つくばね」の車両の先頭に取り付けられていたものなど3点。臨時列車のヘッドマークは、かつて筑波山の観光シーズンなどに、国鉄上野駅から臨時列車を運行していた記録でもあるという。急行は、1960(昭和35)年ごろ、土浦ー筑波駅間をノンストップで運行していた急行に取り付けられていた。ほかに、廃線間際の車両に取り付けられた「さようなら 筑波鉄道 ありがとうございました」と書かれたヘッドマークも展示されている。 さらに、土浦駅の隣の新土浦駅で実際に使われていた、列車の運行を監視したり制御するためのスイッチが収められた制御盤や、1983(昭和58)年に田土部駅に掲示されていた旅客運賃表なども展示されている。制御板は、右上に国道踏切、右下に六号国道踏切とある。当時、筑波鉄道が土浦市内の国道6号を横切った際、住民は踏切で長く待たされた。浅川さんは「土浦市民にとっては懐かしい思い出として記憶に残る踏切なので、こういうふうに踏切を制御していたんだと分かる制御盤」だと話す。 旅客運賃表には、田土駅から土浦駅までの運賃が当時340円だったことのほか、上野駅や横浜駅、宇都宮駅までの運賃も書かれており、当時、国鉄への乗り換えが多かったことがわかる。 ほかに、1896(明治29)年に製造されイギリスから輸入されたレールを切断してつくった文鎮、客車をけん引していたディーゼル機関車のブレーキハンドル、レールを固定するために打ち込んだ犬の頭部の形に似た犬釘など珍しい資料も展示されている。 浅川さんは「サイクリストには、りんりんロードに鉄道の歴史があったことを知ってもらうと同時に、鉄道ファンには現在も現地に残る筑波鉄道の遺構を自転車で巡ってもらえれば」と話し、「折に触れて、その場所にあった筑波鉄道に思いを馳せていただければ」としている。 筑波鉄道は1918(大正7)年に開業した土浦駅と岩瀬駅を結ぶ40.1キロの鉄道で、開業当初は蒸気機関車が黒い煙を吐きながら、客車2両と手荷物車、郵便車の計4両を引っ張り1日6往復した。1925(大正14)年に筑波山ケーブルカーが開業してからは、筑波山観光に大きな役割を果たすようになった。一方1970年代以降の道路整備や車社会の普及により沿線住民や観光客の鉄道離れが進み、1987(昭和62)年に廃線となり70年の歴史を閉じた、廃線後、線路跡地を茨城県が買収し、2002年に自転車道「つくばりんりんロード」を整備、2016年には霞ケ浦自転車道と統合され、ナショナルサイクルルート「つくば霞ケ浦りんりんロード」になった。駅のホームには現在、サイクリストのための休憩所などが整備されている。(鈴木宏子) ◆「筑波鉄道展」は19日(日)まで。入場無料。開館時間は午前9時~5時。18日(日)午前11時からと午後1時からの2回、筑波鉄道に関する鉄道ビデオを会場で上映するほか、同日午後2時から、鉄道関連グッズが当たる抽選会を開催する。詳しくは土浦市観光協会のホームページへ。

カフェ&ラボ テラッツァ《ご飯は世界を救う》75

【コラム・川浪せつ子】公益財団法人つくば文化振興財団が運営する「つくばカピオ」(つくば市竹園1丁目)では、室内アリーナ、会議室、和室などの施設を借りることができます。ここでは、バスケットリーグ、大相撲つくば場所などのスポーツイベント、音楽リサイタルなどの文化プログラムが開かれています。 その西側に、ガラス張りのステキな平屋の建物があります。以前は、障害者関係の方々が飲食店をやっていました。ところが閉店していまい、今年6月、「Cafe&Labo TERRAZZA(カフェ&ラボ テラッツァ)」という名前のイタリア料理店がオープンしました。 私は月1回、つくばカピオの小会議室を借りて、水彩画教室をやっています。教室が終わってから、皆さんとTERRAZZAにご一緒しました。外観だけでなく内部もオシャレで、都会的ないい雰囲気。お店の方も親切です。隣には、展示などができるフリースペース(有料)もあります。 アナタのお子さんは大丈夫 記憶がややあいまいですが、かつてこのコーナーは社会福祉法人の相談所でした。私はわんぱく息子に手を焼き、2回ほど児童相談に行きました。担当の元小学校の校長先生は「アナタのお子さんは大丈夫です」と言ってくださり、特別なアドバイスはありませんでした。 ですが、その言葉で私の気持ちは落ち着き、ホッとして帰宅したことを覚えています。数年後、元校長先生にお礼をと思いましたら、相談所はすでに閉鎖。社会福祉法人に問い合わせたら、その方は亡くなられたとのことでした。 その後、子育ては山あり谷ありでしたが、今でも時々思い出します。男の子は、母親に理解できないことが多い「未知の生命体」ですね。今、息子たちは「チョッピリ親思い」の大人になりました。(イラストレーター)