月曜日, 10月 12, 2026
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地域のゴミ拾い《デザインを考える》31

【コラム・三橋俊雄】1月に地域の「こども会議」を開催しました。「こども会議」とは、地域の子どもたちが集まり、自分たちの生活や地域について意見を出し合う場です。子ども自身が地域の一員として考え、発言し、提案していくことを目的としています。

参加者は、小学4年生から高校生までの子ども12名と大人7名の計19名でした。テーマは、前回の会議で子どもたちから提案されていた「地域のゴミ拾い」です。

交流センターに集合した子どもたちは、「こども会議」の象徴であるグリーンのビブスを身につけ、北風の吹く中、トングとゴミ袋を手に2つのコースに分かれて歩き始めました。

初めは道路を見ても、ゴミのポイ捨てはほとんどないように見えました。しかし子どもたちは草地ややぶの奥まで入り込み、ペットボトルや空き缶、プラスチック片、手袋、さらには捨てられた電化製品のファンヒーターまで拾い集めました。

わずか40分という短い時間にもかかわらず、地域にはこれほど多くのゴミが潜んでいたことが分かり、子どもたちも私たち大人も驚きと新たな発見がありました。

活動後は、集めたゴミを使って、みんなで「ゴミ・アート」を制作しました(上の写真)。

環境教育につなげる試み

ゴミ拾いを体験した子どもたちからは、「思ったよりゴミが多くてびっくりした」「いっぱい拾えて気持ちよかった」「どんどんきれいになってうれしい」「飲みかけのペットボトルがあった」「草の中に小さいゴミがあって驚いた」「風に飛ばされてむずかしかった」など、さまざまな感想が寄せられました。

今回の子どもたちによる「ゴミ拾い」は、単なる清掃活動ではありません。自分の住む地域を「自分ごと」として捉えるための、大切な第一歩でした。また、ゴミを拾うという行為は、環境を守るための最も身近な市民参加のかたちでもあります。どこにどんなゴミが多いのか、なぜそこにゴミが集まるのかを観察することで、子どもたちが社会を知り、社会に目を向けるきっかけにもなりました。

さらに、拾ったゴミを使った「ゴミ・アート」は、ゴミの存在を可視化し、環境教育につなげる試みでもありました。一見価値がないと思われていたゴミが、子どもたちの手によって新しい形や意味をもつ作品へと生まれ変わっていきます。その過程は、体験から得た気づきや、ものの見方を変える力、発想を広げる力を育てる機会にもなったのではないかと思います。

こども会議によるこのような取り組みは、子どもたちが未来の地域を担う市民として育っていくための小さなきっかけにもなります。自分たちの行動が地域を変えることにつながるという体験は、子どもたちの自信となり、次の行動への原動力にもなるはずです。(ソーシャルデザイナー)

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