【コラム・斉藤裕之】「将来きっと青い絵を描くよ…」。ある彫刻家が私に言った。唐突に、なんの根拠もなく。あれから随分と時が経った。
まだ寒い3月初旬、パクと山口に向かう。山の中では弟夫妻が変わりない日常を過ごしている。長旅を終えたパクも再会を喜んでいた。
その日は野暮(やぼ)用があって街まで出かけた。かつてにぎわっていた繁華街も人通りはまばら。少し時間があったのでちょっと気になるところを車で通ってみた。「たまゆら」という看板が見えて店内の明かりがわずかに見えた。思い切って引き返して駐車場に車を入れた。
この辺りは小学生だった私の新聞配達の受け持ち地域だった。だから半世紀以上経った今も当時の街並みと店の名前をはっきり覚えている。「たまゆら」にも新聞を入れていたのだけれども、居酒屋や料亭などが多い通りなので昼間は開いていない店が多い。
だから「たまゆら」も子供心には十分に怪しげなその言葉の響きから、てっきりその類の店かと思い込んでいた。その後、たまゆらとは玉響と書き、勾玉(まがたま)同士が触れ合うかすかな音から、ほんのひとときや束(つか)の間という意味を持つ美しい言葉であることを知った。
ところがつい先日のこと、ネットに「たまゆら」の記事がアップされているのを見かけて「たまゆら」が実は純喫茶で、しかも今もなお営業しているということを知った。
「それいゆ」
客は私ひとり。ゴブラン織りの椅子に重厚な調度品。天井近くにある年代物のスピーカーからはクラシック音楽。そして半世紀の時が醸し出すどこか懐かしい匂い。そのうち2組の客が入ってきた。
確か代替わりされたと記事には書いてあったが、カウンターの中から数人の女性のにぎやかな話声が聞こえる。子供の頃に新聞を配っていた「たまゆら」の中はこんな世界が広がっていた。
あの彫刻家が未来を予言していたわけではないだろうが、「斉藤さんの青い絵がいい…」という声をこのごろ耳にするようになった。人は青に何を見るのだろうか。チルチルとミチルの探す「青い鳥」は幸せや希望の象徴として描かれる。
シャルトル大聖堂のステンドグラスは無垢(むく)で神秘的な青だ。もし、たまゆら色という色があるとすれば…、それは奥行きを感じる軽やかな青だろうか。
大きめのカップに入ったコーヒーを飲み干して店を出た。この並びには確か「それいゆ」という店もあった。当時はその意味も分からないでいたが、なかなか趣のある屋号の店が並ぶ街に新聞を配っていたんだな。
数日後、静かな入り江のある街で、これを吉兆とするほど信心深くないが、こういう偶然が物語の始まりになることはあるのかもしれない、青い鳥が飛んできて目の前の塀にとまった。ちょっとドキドキした。たまゆらのひととき。浜ヒヨドリという鳥だと後で知った。(画家)






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