【コラム・平野国美】ミラノ冬期五輪のフィギュアスケート金メダリスト、アリサ・リュウ選手が自身の出生について語っている記事があります。5人兄弟姉妹で、マザーが卵子を提供され代理出産で生まれた、育てたのはシングルファザーだそうです。長女の彼女の言葉には1ミリの重さもなく、あっけらかんとしていました。
この話を読み、私たちは無意識に「じゃあ、本当の母親は誰なのだろう?」と考えてしまいました。しかし、彼女の前向きな姿勢に、この問い自体が時代遅れでナンセンスと気づかされます。
医学の進化、社会の変化によって、遺伝子―出産―養育を分離することが可能な時代になりました。かつては、「遺伝的な母」「産んだ母」「育てた母」は、1人の女性の中で分かち難く結びついていました。しかし、現代の生殖医療は、これを機能別に分離することを可能にしました。
ビジネスの世界では、セットだったものをバラバラにして提供することを「アンバンドリング(機能の分離)」と呼びますが、まさに「母親」という概念がアンバンドリングされ、機能の集合体へ変わったのです。
「家族」に残るものは何か?
この話に「すごい世界になったものだ」と思った私ですが、ふと、あることに気付きました。訪問診療医として普段見ている風景も、全く同じ構造なのではないか、と。かつて日本では、大家族制度のもと、高齢者介護は全て家族(長男の嫁など特定の個人)に結び付いていました。食事の用意、下の世話、日中の見守り、そして看取りまで、全てが「家族の役割」としてパッケージになっていたのです。
しかし、核家族化が進み、2000年に介護保険制度が始まりました。これにより、家族が抱え込んでいた各機能が見事に「アンバンドリング」されました。昼間の見守りはデイサービスへ、入浴や排泄の介助は訪問ヘルパーへ、医療ケアは訪問看護師や訪問診療医へ、と。命の入り口(誕生)だけでなく、命の出口(看取り)においても、私たちは家族から切り離された社会を生きているのです。
では、機能が外部化され、それぞれが専門家に委ねられたとき、最後に「家族」に残るものは何でしょうか? 家族というものを再定義する時代になったのでしょうか?
私が診療に出向く場所には、当然、患者さんがいらっしゃいます。しかし、血縁関係のある方は不在の場面が多いのです。ヘルパーさんや訪問看護師の方のほか、友人や内縁の方が介護をしているケースが増えてきました。よく使われた「遠くの親戚より近くの他人」という言葉が、昭和の時代とは違う意味合いを持ってきたことは確かです。(訪問診療医師)






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