【コラム・山口絹記】先週末、こどもからインフルエンザをもらった。B型である。予防接種は受けていたが、おそらく効力も切れていたか、あるいは摂取した型が違ったのだろう。
最初に高熱を出したのは0歳児だ。まだことばも持たない身体が、小さな胸で荒い息をし、ぐずりながら眠る。辛いのは伝わってくるが、何がどう辛いのかは教えてくれない。その様子を見守りながら、私は「できることなら代わってやりたい」などと思っていた。
結局、0歳児が復活してしばらくしてから自分の関節が重くなり、その日の夜にはガタガタ震えながら電気毛布にくるまることになったわけで、身代わりになるでもない、ただの無意味な感染拡大となったわけである。端的につらい。こどもからうつされる病気というのはどうしてこうもつらいのだろうか。
しかし、無意識に文章を書いているとどうしても「うつされた」と書いてしまう。まぁうつされたことは事実なのだが、「うつされた」というとなんとなく自分が被害者のような気がする。いやいや、それもまた事実なのだが、家庭の中で起きる感染は、もっとこう、循環のようなものに近い。なぜか一度に複数人が倒れることは少なくて、順番に各個撃破されていく。
そういう意味では、人間が主語の「うつされる」よりもインフルエンザが主語の「巡る」の方が表現としてはよいかもしれない。
家庭内感染を防ぐのは難しい
誰かの咳が空気に混じり、同じ空間を吸い込み、やがて別の身体が熱を出す。大人は1日中マスクをつけていることもできるし、手洗いうがいを徹底することもできるが、0歳児にマスクはつけられないし、保育園児や小学生はそのあたりどうしたって雑である。家庭内感染を防ぐのは結構難しい。
熱はぐるりと家の中を一周し、やがて静かに消えていく。私が立ち上がれるようになったころには、0歳児は夕食の豚汁を食べている兄の皿につかまり立ちで近づき、無言でニンジンを奪って食べていたりする。長女も叫んでないで止めてくれればいいものの、バタバタしている親には止める間もない。
こどもが産まれる前と言うのは、もう少しいろいろとうまくやれるような気がしていたのだが、やはり絵空事は絵空事なのだ。来年はインフルエンザになりたくないものだ。(言語研究者)






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