【コラム・山口絹記】休日の昼下がり、私が自室で本を読んでいると、娘が「これ作ってみたい」とレシピ本を持ってきた。レシピと言っても、昔から娘と一緒に読んでいたファンタジー小説の再現レシピで、作りたいのは物語の中に出てくる肉と山菜の鍋らしい。
なかなか渋い選択だと思う。娘はあまり肉が得意ではないし、材料に書かれているラム肉にいたっては食べたことがないはずだが、せっかくなのでそのことには触れないでおくことにした。何事も経験である。
今回の私はあくまでサポート役である。材料をそろえ、火加減を見るのが私の役目で、具材の切り方や鍋に入れる順番は娘に任せる。公式の再現レシピとはいえ鍋物だ。細かいところまで書いてある通りに進める必要もないだろう。娘はページと鍋を交互に見ながら、立ち止まっては、しばらく考えている。
ラム肉と山菜の匂い
面白いのは、娘と私の間で共有されているのが、実際の味の記憶ではなく、物語の中にあるイメージだけということだ。当然、2人ともこの鍋を食べたことはない。そもそもファンタジーなので物語と全く同じ材料が手に入るわけではないのだ。「こういう鍋だろう」という輪郭だけのイメージと、寒い土地の情景や、登場人物たちが鍋を囲む場面だけが、共通の前提としてある。
煮えていく鍋から湯気が立ち、少し土っぽい匂いが台所に広がった。ラム肉の香りは思っていたより控えめで、山菜の匂いに溶けていく。これが正解なのかどうかは分からないし、物語と同じ味である必要もない。ただ、文字で読んだことのある一場面が、現実の鍋として再現されていく。
妻と弟も加わって鍋を囲む。案の定、こどもたちにはラム肉はやや不評だった(妻と私はおいしいと思ったけど)。それでもきちんと完食できるのは自分の手で調理したからだろう。これは料理という行為の魔法だ。洗い物をしながら、物語と現実がほんの一瞬だけ同じ鍋を囲んでいたことを思い返していた。(言語研究者)






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