月曜日, 10月 12, 2026
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稲葉英樹氏第一声 全文文字起こし 茨城6区 衆院選’26

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ただいまご紹介に預かりました、茨城6区から立候補いたしました、稲葉英樹と申します。二見さんからの応援、そして恩人でもある古澤市議からの応援、とてもうれしかったです。その声に負けず、この選挙戦を頑張っていきたいと思います。

今度の選挙、どの政党が国民目線で働く政党かを見極める選挙になります。日本共産党は、暮らし、平和、人権、あらゆる分野で、党を作って103年、国民のために1ミリもブレずに働いてきた政党です。政党を選ぶ比例は日本共産党に、そしてここ茨城6区は私、稲葉英樹に皆さんの一票をお寄せください。よろしくお願いします。

皆さん、私は土浦で生まれ、土浦の風に吹かれ育ちました。私にとっての日常というのは決して平坦なものでありませんでした。小学校2年生の時に私は父を亡くしました。それ以来、私の家は母一人子一人の家庭となり、母は泣き言一つ言わず、文字通り身を粉にして働いてくれました。「生きるということはこんなに大変なのか」と子供心に感じてきました。今度の総選挙、私が立候補を決めた理由の一つは、、母のような苦労を他の誰にもさせたくないという思いがあったからです。

皆さん、今の政治は一体誰の方を向いているのでしょうか。地域を歩けば切実な声が聞こえてきます。「給料は上がらないのに、スーパーの買い物は日に日に高くなる、閉店間際の半値引きでしのいでいる」「子どもの学費を払うために、自分の食事を抜いている」ー。これが、この茨城の、この日本のリアルな姿です。ひとり親家庭が増えています。しかし、社会のセーフティーネットはボロボロにされ、自己責任が押し付けられています。

自民党の政治家はどうでしょうか。裏金にまみれ、特権階級の椅子に踏んぞり返り、一杯のカップラーメンの値段すら知らない。そんな人たちに私たちの生活の痛みが分かるはずもありません。国民を向かない、庶民の苦労を知らない自民党政治は、もう終わらせようでありませんか。

皆さん、今政府が進めているのは、5年で43兆円という途方もない大軍拡。その莫大な税金があるなら、なぜ今この瞬間、明日の生活におびえる親子に差し伸べないのか。軍備に回す金があるなら福祉に回せ、これが私の魂からの叫びです。

消費税を5%に下げ、将来的に廃止する。子どもが笑える社会なら、その親も、そして日本を支えてこられた高齢者の皆さんも、安心して笑っていられるはずです、笑って暮らせるはずです。それが政治の本来の役割ではないでしょうか。

私にはエリートのような輝かしい経歴はありません。しかし誰よりも生活の痛みを知っています。母の手のひらの固さを知っています。

自民党が強くても諦めるわけにはいきません。私、稲葉英樹、そして日本共産党が大きく強くなることは、あなたの暮らしが大切にされる社会への第一歩です。

どうか皆さんの手で、この茨城6区から新しい政治の扉を開かせてください。皆さんの暮らしの声を、まっすぐに国会へ届けてまいります。比例は日本共産党、小選挙区は私、稲葉英樹への一票を周りの方へ大きく広げてください。共に誰もが笑って暮らせる日本を作っていきましょう。全力で最後まで訴え抜きます。寒い中ありがとうございました。

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