火曜日, 10月 13, 2026
ホーム暮らし交通インフラで地域を変える 小田川つくばみらい市長【キーパーソン】

交通インフラで地域を変える 小田川つくばみらい市長【キーパーソン】

鉄道や道路といった交通インフラは、通過する地域や周辺を大きく変える。伊奈町と谷和原村が合併して誕生した「つくばみらい市」は来春に市制20周年を迎えるが、開通から20年が経ったTX(つくばエクスプレス)みらい平駅周辺は一大住宅地域に変貌した。TXなどの交通インフラによって同市がどう変わったのか、これからどう変わるのか、小田川浩市長に聞いた。

みらい平地区と旧伊奈の間に新住宅地

2006年3月の町村合併時、新しい市の人口は4万1200人だった。それが今では5万3700人になっており、20年弱の間に1万2500人増加した。死亡者が出生者を上回る人口の自然減を加味すると、それ以上増えたことになる。

「みらい平駅周辺の人口は1万6000人を想定していたが、現在の人口は1万7700人を超えている。市全体の人口の3分の1がTX周辺の新興住宅地(200ヘクタール)に住んでいることになる。TXがなければ、これほどの発展はなかっただろう。まさにTXが『まちづくり』をけん引した」

現時点での問題はTX駅周辺の住宅用地が足りなくなっていること。「これを解決するため、みらい平地区と伊奈東市街地の間にある土地を住宅地にする。駅から1.5キロのところにある約19ヘクタールの土地を開発、完成すると800世帯程度が住めるようになる。来年度には地権者による土地区画整理組合が発足する予定だ」

来年秋にスマートICが開通

つくばみらい市にとって、来年度最大のイベントは常磐道のスマート・インターチェンジ(IC)開通。東京寄りの谷和原ICから3.7キロ、水戸寄りの谷田部ICから7.5キロの地点で整備が進んでおり、秋には「つくばみらいスマートIC」が開通する予定という。

「開通に伴い、インターチェンジ周辺の約60ヘクタールを産業・商業用地として開発、工場や商業施設を整備する構想を立てている。市のほぼ中央部に新ICができ、その周りに商業施設を整備すれば、東京圏からやって来る人も増える。このスマートICは、取手市や龍ケ崎市の人にとっても常磐道に一番近いICになり、これら地域の方にも便利になると思う」

新スマートICの概略図(つくばみらい市提供)

Ⅰ期とⅡ期の工場団地は完売

市を東西に常磐道が貫き、西隣りの常総市や北隣りのつくば市を圏央道が横切ることもあり、つくばみらい市は工場建設の人気エリアだ。旧町村に適地が多かったことが、工業団地整備にプラスになったと言える。

「8年前に土地区画整理組合による区画整理事業で32ヘクタールを工場用地に造成したところ(第Ⅰ期)、短期間のうちに7社の企業立地が決まった。第Ⅱ期区画については県による工業団地造成が進められ、日清食品、ダイキンなど大手企業7社の企業立地が決まった」

第Ⅲ期の工場用地開発があるのか聞いたところ、「今のところは無い。大型工業団地を用意して工場を誘致するのはⅠ期とⅡ期で一段落した。ただ、企業から工場用地がないかと相談があれば、市内の適地を探して要望に応えていきたい」

15年先の人口は20万人?

TX、常磐道、圏央道という交通インフラによって、つくばみらい市は「白紙に絵を描くような」まちづくりを進めてきた。15年先、2040年の人口はどのくらいになるか質問したところ、同席していた担当課長に「20万だっけ?」と笑いながら聞き、「冗談、冗談。5万6000人ぐらいかな」と修正した。これまでの勢いが維持されれば、20万人も夢ではないかもしれない。

【おだがわ・ひろし】明治大学大学院ガバナンス研究科修了。会社員、会社役員を経て、2012~17年、つくばみらい市議。2018年から市長、現在2期目。旧伊奈町生まれ、58歳。

【インタビュー後記】埼玉県にも伊奈町があり(いずれも江戸幕府関東郡代伊奈氏の領地)、私の娘家族が住んでいる。圏央道開通前、孫たちに会いに行くのに一般道を使い、片道2時間半もかかった。今では圏央道経由で1時間10分。片側2車線化が完成すると、1時間に短縮される? 交通インフラの充実は生活の形を変える。(坂本栄)

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