【コラム・奥井登美子】荻窪で生まれ育った私は、父の仕事の関係で荒川の近くに引っ越した。小学3年生のとき、サリーという名のシェパード犬を飼っていた。サリーは私にとって愛犬以上の存在だった。「ハウス」と叫ぶと犬小屋にさっと入っていく。毎朝、サリーとの散歩が学校へ行く前の楽しい日課だった。
サリーを連れて荒川の土手を散歩しているとき、愛国婦人会という旗を持ち、自分たちで制服と決めた割烹(かっぽう)着を着た3人のおばさんたちに会ってしまった。「日本はいま戦争中です。私たちも愛国の精神で、このような活動をしています」。一人一人バラバラになると、普通の平凡なおばさんだが、3人が束になると迫力がすごい。
「忠君愛国」「忠君愛国」「……」。お念仏のように唱えて、旗を振っている。
「今、日本は戦争中です。犬なんか飼っている人はおりません」
「この犬はとてもお利口さんで、人間の雑飯、残り物を何でも食べてくれます。わざわざ犬の餌を用意しなくても、大丈夫なのです」
「住所と名前を言いなさい」
「犬の名はサリー」
「犬の名、聞いてどうするのですか。しかも、サリーだなんて、敵性用語ではないですか。あなたの親の名と住所を言いなさい」
「はい……」
サリー、どこへ行ったの?
私が学校に行っている間に、隣組長さんのところに愛国婦人会の人が来て、犬をどこかに連れて行ってしまった。その日のうちに殺されてしまったそうである。
「サリー、どこへ行ってしまったの?」
それから1カ月間、私はサリーの名を呼びながら、泣いてばかりいた。(随筆家、薬剤師)