【コラム・三橋俊雄】学生のころ、家庭教師から帰る途中、乗る予定だったバスが目の前で発車してしまい、私だけが取り残されていました。ふと夜空を見上げると星は果てしなく遠く、宇宙は限りなく大きいのに、人はなぜ些細(ささい)なことばかり気にしたりして…。その時、なぜか、大学で学んだ「ホモ・ルーデンス」という言葉を思い浮かべていました。
「ホモ・ルーデンス(Homo ludens:遊戯人)」とは、1938年にオランダの歴史家・文化人類学者のヨハン・ホイジンガが提唱した〈人間とは何か〉を表す概念で、それ以来、私は人間として持っている〈遊び心〉を大切にしながら、人生を歩んできたつもりです。
人間の本質を表現する言葉には「ホモ・サピエンス(Homo sapiens:英知人)」「ホモ・ファベル(Homo faber:工作人)」「ホモ・デメンス(Homo demens:狂気人)」など、さまざまな定義があります。日本においては、「遊び」という概念が、すでに平安時代末期までに確立されていたと考えられます。
それが、後白河法皇によって編さんされた『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』です。そこには「遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわむ)れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそ揺るがるれ」という一節があり、無邪気に遊ぶ子どもたちの声を聞きながら、彼らはまるで遊ぶために生まれてきたのではないかとの、遊女の思いが詠(うた)われています。
以下、私が京都で出会った「ホモ・ルーデンス=遊び心」のお話をご紹介します。
ゼンマイ飛行機
年に数回、私は京都府北部の農山漁村に学生とお邪魔し、「フィールドワーク」の授業を行ってきました。この授業では、自然と共に暮らしてきた人々の生き方や、生活の知恵を学びます。ある年の夏、由良川に流れ込む小さな川沿いを巡っていた際、山道で出会った地元の方が、その場であっという間に作って見せてくれたのが、写真左のゼンマイ飛行機でした。
ゼンマイは、春、新芽を煮物や油炒めなどにして食べる代表的な山菜のひとつです。成長すると、写真右のように大きな葉になりますが、よく見ると、軸の両側に細い羽軸が出ており、その羽軸の左右に小さな葉(小羽片:しょううへん)が付いている、シダ類特有の形状になっています。
ゼンマイ飛行機は、羽軸を左右それぞれ長短2本ずつ残し、羽軸の片側から小羽片を取り除くことで、残った部分が飛行機の主翼と尾翼のような形になります。私も一つ作ってみましたが、思いのほかよく飛んでくれました。
かつての子どもたちは、野や山で、石や木、葉などの自然物の造形を道具に見立てて遊んでいました。このゼンマイ飛行機も、「ホモ・ルーデンス」の心で、植物の葉の形や構造から巧みに飛行機の造形を連想し、創り出されたものに違いありません。(ソーシャルデザイナー)