火曜日, 10月 13, 2026
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子どもを育む居場所、遊び場に期待《令和楽学ラボ》36

【コラム・川上美智子】イオンモールつくば(つくば市稲岡)に全天候型遊び場、「ミライパーク」が整備されたという。気候変動による猛暑が続く夏場は、熱中症アラートが連日のように発せられ、子どもたちが外で遊ぶことはほぼ不可能になった。ちょうど、夏休みに入ったところであるが、子どもたちの声は聞こえず、公園にも道路にも人の姿は見えない。このような全天候型の遊び場が身近にあることは、幼小の子どもの育ちに不可欠なのかもしれない。

日立市では6年前、雨天でも親子で遊べる屋内型子どもの遊び場「Hiタッチらんど・ハレニコ」を駅前(現ヒタチエ・4階)にオープンした。北関東最大と言われる㈱ボーネルンド監修による人気の遊具が整備されており、県内のみならず東京方面からの来場者もあり、本年2月には入場者50万人セレモニーが開催された。筆者が学長を務める特定非営利活動法人(NPO)「子ども大学常陸」が、設立時よりこれに関わり、日立市の指定管理者として運営を行っている。

あそび・まなび場は、安全を確保するため、12歳までの子どもと保護者が一緒に入場するスタイルになっており(13歳以上の未成年も家族と一緒であれば入場可能)、定員250人、90分入れ替え制となっている。ベビーゾーン、ロールプレイゾーン、アクティブゾーン、芝ゾーンには、たくさんのボーネルンドの遊具が整備されている。

日立市の「ハレニコ」内部

また、通路を挟んで無料の子育てサポートエリアと管理エリアがあり、親子遊び、各種講座、一時預かりサービス、相談事業など、保護者が利用できるスペースが設けられていて、子どもたちのうれしそうな声が絶えない。

知的好奇心を刺激し学ぶ楽しさを知る

そもそも子ども大学は、子どもたちに大学レベルの教育を施すために2002年、ドイツの大学で発足し、日本でも2008年にスタートした。子ども大学常陸も、学校とは異なる第2の学び場、体験の場、冒険の場としての役割を果たしたいと、2014年に日立に誕生した。子どもの知的好奇心を刺激し学ぶ楽しさを知ってもらうために、茨城キリスト教大学や茨城大学の教授陣を中心に、ゼミと称して、それぞれの専門性を活かした授業を分かりやすく、実技などの活動を交え、アクティブラーニング形式で進めている。

このほか、設立以来、誰よりも力を注いできた山名芙美理事長の手腕により、日立市や地域の団体、企業と連携して数えきれないほどの事業を実施し、日立市の子育ち・子育て拠点の役割を果たすまでに成長した。

昨年度の事業を見て行くと、ふるさとの歴史を知る「ひたち自然史パンテオン」、「あそびコンシェルジュの設置」、「サッカー大会」、「親子で楽しいリズム」、「パンポン教室」、「日立科学遊び隊の体験イベント」、「おはなし会」、「ライフケア日立連携事業」、「茨城キリスト教大学ゼミ生による無料託児」、「ママの自分時間プロジェクト」、「キラキラワークショップ」、「お誕生日会」、「ハレニコマルシェ」、「ママサロン」、「ハイハイレース」などの自主事業、職場体験、シビックセンター・サクリエ、森の学校、丸善イベント、日立産業祭、パンダフェス、保育園情報交換会、県北ママコミュ等の協力事業などがある。

子どもの安全管理、28人の従業員の労務管理、研修など保育園運営に負けず大変な面があるが、子どものゼロ歳からの学び支援と子育て中の保護者支援として重要な施設であることだけは確かである。つくば市に発足した新施設が、子どもたちの多様な活動の拠点になるよう期待している。(茨城キリスト教大学名誉教授、関彰商事アドバイザー)

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