【コラム・沼田誠】つくばセンター地区では、週末よくイベントが行われている。整った空間に人が集まり、音が響く。しかし、ふと平日の何もない夜に歩くと、そこにあるのは、ガランとした広場、急ぎ通り過ぎる人、そしてムクドリよけの不快な音である。
全国各地で「にぎわいづくり」「活性化」が叫ばれている。しかし、何をもって「活性化」とするかは曖昧で、結局イベントによって歩行者通行量を増やすことに落ち着く場合が多い。だが、催事で人を呼び込めても、それが「街に関わる人」を育てるわけではない。にぎわいが誘致されたものであるうちは、終わった瞬間に人も空気も消えてしまう。
水戸で「街には“雑居”が必要ではないか」という議論を仲間たちとしたことがある。雑居とは、さまざまな用途や人が同じ空間に入り込み、入れ替わりながら共存している状態のこと。飲み屋の隣に美容室があり、近くからは三味線の音が聞こえる。地元の高齢者と移住者がカウンターで隣り合い、時に混じる。そうした「入り乱れ」が、街のにぎわいを日常に根づかせていく。
では、つくば駅周辺はどうだろうか
近年マンション建設が進み、居住者も増えている。にもかかわらず、デッキに面した店舗が入れ替わるなど、にぎわいが定着しているとは必ずしも言えない。これは単に「人口が少ないから」ではない。人はいるのに、街との関係性が薄いのだ。
その背景には、通勤や買い物を郊外で済ませる生活習慣とともに、駅前空間が「用がある人」向けに整備され、「なんとなく歩きたくなる」「ふらっと寄りたくなる」余白が少ない、ということもあるのではないか。あるいは、余白をつくる取り組みも、建物や特定の人の中だけで完結すれば、エリアとしての広がりは生まれない。
実際に、徒歩数分圏内で商売をする人たちからは「声が掛からない」「どう関わればいいか分からない」との声も聞いている。
これは、声の拾い方の問題ではないか
行政が市民の声を聞こうとする際、商店会やNPOなど組織化された団体を通すことが多い。その方が制度や予算とも接続させやすいからだ。しかし街を支えているのは、そうした団体に属さない個人の営みであることが少なくない。常連との会話の中に、街の課題と可能性が詰まっている。記録に残らない、だが確かな「地の声」がそこにある。
だからこそ、「耳を使う」姿勢が必要
職員が意識的に街を使い、街の一部として過ごす。仕事終わりに一杯飲みに行き会話する。マルシェやイベントに来場者として足を運び、主催者や出展者と話を交わす。そうした日常の中で、声は自然と耳に入ってくる。それは単なる「親しみやすさ」ではなく、現場感覚を持った政策形成の、最も確かな土台となる。
そうした小さな積み重ねが、“雑居の土壌”を耕し、つくばセンター地区をにぎわいのある街へと育てていくのではないだろうか(そうした職員を見つけたら大事にしてあげてほしい)。(元水戸市みとの魅力発信課長)