木曜日, 12月 4, 2025
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大正後期の川田家住宅 登録文化財に つくば市北条

三越の大番頭、盛蔵が建築

国の文化審議会は18日、つくば市北条にある大正時代後期に建てられた川田家住宅の①主屋(おもや)②炊事場及び風呂③石塀及び板塀の2棟1基を、新たに国登録有形文化財に登録するよう文科相に答申した。答申後、官報告示をもって正式に登録される。

後に三越の大番頭を務めた同市上大島出身の川田盛蔵が40代の頃、妻の実家がある北条に建築した。①主屋は明治時代後期ごろ現在の土浦市藤沢で建築された農家の建物を、1919(大正8)年に移築した。移築の際、都市的な新しい生活様式に適した住宅へと大幅改修した。床の間の脇に張り出すように設けられ棚板と障子窓で作られた付書院(つけしょいん)周辺の繊細な造形や装飾的な木材の使い方が、造形の規範となっているとして登録される。主屋は木道平屋建て、瓦ぶき、建築面積139平方メートル。

主屋の土間から前座敷、中座敷、奥庭を望む

②炊事場及び風呂は大正時代後期の建築で主屋の奥にある。小型ながら当時としては珍しい洋風の外観で、外壁はモルタル塗りで黄土色に仕上げられている。さらに急勾配の切妻屋根、外壁の縦長窓などが特徴となっている。内部は炊事場と風呂に分かれており、炊事用の窯の熱で風呂を沸かすようにつくられている。風呂の仕切り壁にも洋風の意匠が施されている。木造平屋建て、瓦ぶき、建築面積12平方メートル。

③石塀及び板塀は、大正時代後期につくられ、敷地の東側を区切っている。石塀の道路に面した南側は御影石を積み上げた御影石積、北側は大谷石を積み上げた大谷石積で、その北側に続く板塀は、板を交互に重ねて打ち付けた大和張りという工法でつくられた大和塀となっている。石塀は延長15メートル、板塀は延長26メートル。②炊事場及び風呂③石塀及び板塀はいずれも歴史的景観に寄与しているとして登録される。

主屋の外観

市文化財課の石橋充課長は「当時住宅は、農家だったら土間があったり、商家だったら店があったりと、なりわいに即してつくられていた。東京で働くサラリーマンだった盛蔵は、移築した農家を都会的な新しい生活様式の住宅に改修するなど、東京の文化を持ち込んだ住宅をつくった。なりわいに関係ない、サラリーマンの住宅の先駆けともいえるのではないか」と話す。盛蔵自身は当時、家族が住む北条の住宅と、職場に近い東京の住宅の二拠点を行き来する生活を送っていたとみられるという。

川田家住宅は現在、都内に住む子孫が所有する。普段は非公開だが、筑波山麓秋祭りや北条地区のイベントなどの際は北条地区に戻ってきて一般公開している。山麓秋祭りでは、古民家の邸宅公開と映像散歩、陶芸などの展示販売、カフェなどのイベントを催した。所有者の子の川田高史さん(58)は「若い頃、学園都市で育ったが、北条とは行き来していた。当時は学園都市と北条地区は隔たったものがあったと思う。それが近年変わってきた。中心地区に住む若い人たちなどに古いものの価値を見直そうという機運があり、北条地区全体で活動が活発になった。祖母の実家が川田家で、文化財の登録へと動いた。この地域は新住民、旧住民、老若男女がうまく溶け合い活動している地区だと思う。これからも地域の振興のために協力していきたい」と語る。

今回の登録により市内の登録有形文化財は6カ所21件となる。特に北条地区は国の重要文化財「旧矢中家住宅」のほか、登録有形文化財の宮本家住宅、旧常陸北条郵便局、旧田村呉服店と今回の川田家住宅の4カ所が集中する。市文化財課は「活用に当たり相乗効果が期待される」とし「貴重な文化財を未来へと継承できるよう、保存と活用を支援していく」としている。(榎田智司)

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